日々修行213 ピラミッド体制からの脱却

東京から岡山に移住して丸8年になるという段階で、地方で何ができるのかを、今さらと言われることを承知して言い始めました。8年といっても、移住の目的であったことが違えられて別の道を模索するまでに2年半、模索して結論が出るまで半年がかかり、これから再スタートという段階になって新型コロナウイルス感染症の蔓延が始まりました。

コロナ禍の猖獗(しょうけつ)に振り回される期間が3年間も続いたので、岡山に移住して実質的に自分の活動を始められたのは2年間だけでした。これからが本格的始動という時期が古希を迎える時期と重なり、別の道も考えたこともありした。

東京に再Uターンをして、やり残した仕事をすることを示して好条件を出してくれた永田町のお役所(霞が関ではなくて)もありました。

それを断ったのは、30年以上もかかって変えることができなかったことの後始末をするだけということがあり、中央の仕組みを地方で受け入れるだけではなくて、中央の欠けている部分、不足している部分を補う地方独自の活動を最後の仕事にしようと考えたからです。

不足している部分があれば、それを認めて補っていくべきで、臨床栄養の世界でたとえるなら「栄養素は食事で摂取するべきで、サプリメントに頼るべきではない」という考えは今では通じなくなっています。これは摂取する側の意識が変わったことを、臨床栄養の医師や管理栄養士が気づいて対応してきたからのことです。

そのスタートは、外圧(主にはアメリカからの)によってサプリメントの規制緩和が行われた1996年のことです。医薬品と似た形状の錠剤やカプセルでの食品摂取が認められたというのが規制緩和の中心として歴史の本にも記載されているのですが、大きく変わったのは中身です。

今ではサプリメントや食品成分として当たり前の存在となったビタミン、ミネラル、アミノ酸は以前は医薬品成分で、食品成分としての使用が認められていなかったのです。1997年にビタミンが、1999年にミネラルが、2001年にアミノ酸が相次いで食品として許可されました。

そして、2002年には厚生労働省から「サプリメント等に係るアドバイザリースタッフの養成に関する基本的な考え方について」という通知が出されました。これは現在では「保健機能食品等の〜」と名称が変更になっています。

いわゆるサプリメントアドバイザーの養成ついて厚生労働省が考え方(要は基準)を出したもので、その審議の委員として加わっていたこともあって、サプリメントの事情に詳しくなり、翌年からは複数の養成機関の法律講師を務めさせてもらいました。

サプリメントの専門家が消費者にアドバイスをすることによって消費者が正しい商品選択、使用法などが身につけられるようにすることが大きな目的でしたが、それが達成できているのかというと「何も進んでいない」との指摘があっても反論はできません。

前回(日々修行212)、医師が栄養学を充分に学べない事実について触れましたが、これを改善しようと医学・科学・栄養学などの専門家が学会と協会を組織して挑戦してきたものの、消費者に当たる患者が充分な知識を得て、実践しているかというと、これも疑問です。

日本臨床栄養協会は医師と病院勤務の管理栄養士・栄養士が、お互いに学び合う場として設立され、初代の副会長(医師が会長、管理栄養士が副会長の体制)は、私が主任研究員を務めていた病院栄養管理研究所の所長(国立病院の管理栄養士のトップを務め、日本栄養士会の理事長も務めた)でした。

日本臨床栄養協会の事務局の一部や広報も務めさせてもらう中で、ずっと討議してきたことは今も解決されているとは言いにくい状態です。

欠けていることがあることを知って、それと自分のギャップに気づき、それを解決する方法を専門家からリードしてもらいながら自分の健康は自分で守っていくということを岡山の地で広めていくためには、これまで継続してきた活動を短期間のうちに一気に取り組むしかないと判断して、それに相応しい岡山の中心となる地に移り住むことを決断しました。

これについては「日々修行」だけでなく、複数の連載コラムでも具体的なことを伝え、健康情報の発信をプロ向けに比重を移していくなど、驚くような(周りも自分も)スピードとスケールで進めていきます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕