日々修行214 定年延長の影響

もうじき古希を迎える身には4月1日の年度の区切りは特別の意味を持っていると考えています。これは私だけの感覚かもしれないのですが、60歳を過ぎてから東京から岡山に移住して、当初の目的が達せられないままコロナ禍の3年間に突入して、その間に65歳という世間でいう定年退職年齢になりました。

社会人になってから、ずっと雇われたことはなくて、フリーランスやコンサルタントとして働いてきて、給料とボーナスを支払う側になったことはあっても、もらったことは一度もありません。

そのため、60歳は企業や団体で働いている人は役員にならなければ定年退職ということは一般常識としては知っていても、自分とは関係のない世界の話という感覚のまま60歳を普通の区切りの年齢として迎えました。

その定年退職年齢は、高年齢者雇用安定法に基づく高齢者就業確保措置によって、2025年4月から65歳までの継続雇用が義務化され、定年を超えても働きたいと希望する従業員全員を70歳まで雇用することが努力義務となりました。

それは私には直接的には影響があることではなかったのですが、できるだけ長く働かせようという“限られた人の意図”の影響を70歳という年齢で再び肌身で感じる状況となりました。

東京を離れてからも永田町のお役所(霞が関ではなくて)からの依頼仕事は細々と続けてきていたのですが、2024年9月末で終了しました。年齢でいえば69歳で、70歳まで定年延長をしても、もう先は短いというタイミングでした。

この時期に岡山に一緒に移住した義妹が東京に戻ることになり、そのことを東京人脈に伝えて、「何かできることがあれば応援して」という感じで連絡をしました。その東京人脈の1人の“お役人”からきたのは「あなたは、いつUターン移住するのか」という質問でした。

そのようなつもりはなかったので、勘違いされたのだなと思って、短いやり取りを繰り返していたら、なぜUターン移住という発想になったのかがわかりました。

2024年7月に岡山で新たな特定非営利活動法人(NPO法人)を設立して、65歳の定年義務化、70歳の雇用努力義務の時代に合わせた活動を報告していて、それが目に止まったことでした。

そのときに“お役人”から言われたのは、「岡山から小さく始めるのではなくて全国規模で始めたらどうか」、「中央が始めたら岡山での活動は飲み込まれてしまう」ということでした。確かに、お役所が始めたら地方の活動は中央の主導になって消えてしまう、ということは、これまでの霞が関との付き合いの中で何度も見てきたことです。

東京で仕事も生活する場所も作ってくれるという“魅力的な条件”ではありました。

自分だけの利益を考えるとしたら、飲み込まれるような立場ではなくて、飲み込む側になって活動するということもあったのかもしれませんが、岡山県には独自の健康支援の「健活企業」の制度があり、それと同じことができるのではないかとの発想が出てきました。

70歳が定年なので、あとわずかしか働けないということを伝えたら、しばらくは静かにしてくれていたのですが、3月31日の年度末に、つまり昨日、またアプローチがありました。

「高齢者就業確保措置は、70歳までの定年引き上げだけでなく、定年制の廃止も含まれていて、死ぬまでとは言わないものの、もう限界と感じるまでは働ける時代になった」ということでした。

まだ“昨日の今日”のことなので、結論を伝えるところまではいっていないのですが、自分としての結論は出せています。というよりも、以前から同じ結論ではあったのですが。

このことは次回(日々修行215)に続きます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕