今回のお題である「よいことだけを見たい」という言葉を発すると、「よいものだけを見たい」の間違いではないかと指摘されることがあります。これは書き間違いでも変換ミスでも、ましてや私の記憶の間違いでもありません。
「よいものだけを見たい」は、偽物ではなくて本物、アマチュアではなくてプロフェッショナル、ビギナー(初心者)ではなくてエキスパート(熟練者)という分類であれば後者の選択となります。
そのような見ればわかる、聞けばわかる、味わえばわかるという“格付けランキング”のようなものではなくて、「よいことだけを見たい」というのは、他人の評価の善し悪しとは違ったものです。
自分にとってよいこと、周囲にとってよいこと、これから先のことを考えるとよいことは、その場、その時にはよくないことのように思われたとしても、“悪し”と判断してはいけないことです。
「よいものを見る」には、目を見開いて、眼球を通して視野に入ってきた視覚情報が脳の後頭葉まで届けば、そこで画像として映し出されます。後頭葉は左右の目から入ってきた情報を画像化する部分です。
美しい絵は美しいままに映し出されて、その画像情報が大脳皮質の記憶の部分に届けられて、ここで過去の蓄積データと比較対照して、よいものを見たことが記憶に刻まれることになります。
これに対して「よいことを見る」には、目の前にあるものを見るだけでは充分とは言えません。「見ていても本質を見ていない」「木を見て森を見ず」と言われるように、小さなことに気を取られて全体を見通せないことも少なくありません。
全体が見えないと、目先にとらわれて本質や大極がわからなくなり、ちょっとした気分がよくなること、気分を害することに一喜一憂することにもなります。場合によっては、もともと何をしなければならなかったのか、目的は何だったのかが見えなくなることも往々にして起こります。
自分にとってメリットになることをしてくれている人がいたとしても、その人が邪(よこしま)な考えをしたり、小さなメリットを与えて“その気にさせる”だけで実は大きなデメリットを与えようとしていることもあるのです。
そのような疑った目で他人の行動を見ることは、できるならから避けたいところですが、そのようなことまで目配りしておかないと、「よいことだけを見たい」という願望をかなえることができなくなってしまう世の中であることは事実です。
それだけに、あえて「よいことだけを見たい」と口にするようにしているのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕