「よいものだけに触れたい」ということを実現するためには、よいもの以外にも触れて、真偽の見抜く経験をすることが重要ではないか、ということを前回(日々修行233)書きました。
今回のお題の「よいものに触れる」というのは、本物に触れていれば、本物か偽物かは見抜けるということのように感じられるかもしれないのですが、それが通用するのは以前の常識、伝統文化の世界に通じること、というのが現在社会を生き抜いている中で感じることがあります。
触れるというのは人間の五感でいえば触覚の範疇で、陶器のよさは見ているだけでは判別がつかないところがあって、美術館のガラス越しでは本当の味わいは伝わってきません。
このようなことを書くと、備前焼の人間国宝の子であり、孫でもある陶芸家から叱られる(縁を切られる)ことにもなりかねないとの心配もあるのですが、実際に触れてみて感じること、お茶を注いで飲んでみて(味覚と嗅覚で)感じることもあります。
これは五感だけの話ではなくて、有益なことに真剣に触れてみないことには、学ぶことができないという逸話として使わせてもらっています。
本題は前回も触れた情報リテラシーに関することで、情報は多角的に捉えて、さまざまな経験をしてからでないと正しいものを選択して、自分に適した情報とすることができないという考えをしています。
それは、ずっと研究の世界にいて、知識だけでなく学問として成り立つのかを考えてきた中で、心に留め置いてきたことです。ただ情報を検索して、流行を知るだけなら検索は苦ではないのですが、私にとっての検索は入口で、その後に分析、執筆、発表が続いていきます。
この年齢(古希になったばかり)になると検索、分析、執筆に手間をかけるのは“ボケ防止”かと言われることもあります。以前よりも判断と着手に時間がかかるようになってみて、以前と同じように時間をかけていてよいのかという思いもあります。
そのことを指摘されることも増えていて、視界の一部(私の場合は左の下側)がモザイク状になって、よく見えなくなる閃輝暗点があり、それが頻繁に出るようになって、読むにも書くにも(ペンで書くよりもキーボードで打ち込むのが大半)時間が長くかかるようになったことを知っている人からは、なおさら強く言われるようになっています。
もうやめたらよいのに、と言われることに「健康情報メール」があります。これは2010年の4月から毎週1回、広く健康に関わる情報を送っているものです。現在(2025年4月21日)は782回ですが、今では送り先は絞りに絞っています。
また、全体版は1回(1週間分で)40本くらいになるので、求めに応じて分野を限って数本ずつ送ることもしています。
「医学と科学は仮説の世界」ということは、その両方の世界に関わり始めたときから言われていたことで、健康情報メールのバックナンバーを見ていると最新研究の結果とは違うこと、中には逆のことが発表されていたこともあります。
それがわかるのも長く続けてきたからで、今にしてみれば“よくない情報”に触れてきたことで“よい情報”を見抜くことができるようになったと思っています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕