日々修行246 叱られるレベルのタイアップ

テレビ番組のタイアップは、今も大きな力があって、面白くもないと評価されるような番組であっても「なんとかタイアップできないか」と話が持ち込まれることがあります。もう東京でのテレビ関係の仕事は、岡山に移住した8年前に終わったつもりなのに、まだ連絡をしてくる人がいます。

その方々は、私が東京にいると思い込んでのことではなくて、移住の前に盛大に“お見送り”をしてくれたメンバーもいて、よほどタイアップがうまくいっていないのだろうな、と感じています。

タイアップは、もともとは協力・連携を指していますが、広報PRの分野ではペイド・パブリシティ(報道の体裁で広告を出稿)と同じ意味合いで、使われています。

面白くない内容の番組でもよいから電波に乗せてほしいときには「腐ってもタイアップ」などという悲しい言葉が使われることもあったのですが、もっと悲しい「腐ったタイアップ」と言われた時代もありました。

そんなことが言われるのは、「お金をもらえるから仕方がないから紹介する」という内容であったからです。以前であれば、「こんな提案をしたら叱られる」というレベルの番組ばかりになっていて、無理を承知でタイアップを持ち込むこともなくなりました。

誰が見てもタイアップ(場合によっては広告)とわかってしまう番組ではなく。今回の話題(思い出話?)は、もっともっと大きなタイアップです。それはテレビの時代劇です。

テレビ番組で時代劇が放送されたのは、開局早々のことではあるものの、盛んに放送されるようになったのはTBSの「水戸黄門」シリーズからです。それは1969年(昭和44年)からのことです。

その当時の私は新潟県の片田舎で中学校に通っていましたが、NHKだけでなく民放も条件さえ整えば(特別のアンテナを立てると)見られるようになりました。初めに見た民放はTBSで、「水戸黄門」も第1作(水戸光圀:東野英治郎さん、助さん:杉良太郎さん、格さん:横内正さん)から見ていました。

出演者に「さん」をつけるのは一般にはないことかもしれませんが、後に「水戸黄門」の名プロデューサーと一緒に仕事をすることになり、番組のきっかけを作った大手広告代理店のテレビ部門の大御所とも親しく付き合う中で、さん付けで呼ぶのが当たり前だったからです。

その大御所は、大手家電メーカーの依頼で、同社の家電製品だけがテレビ画面に出てくるようにしていたのですが、他社の製品が出てこないように撮影するのが大変になり、そこで考えたのが家電が一切出てこない時代劇の制作でした。

まったく家電が出てこない番組の途中と後に出てくる家電の宣伝は、インパクトが強い全体を通じたタイアップのような形で、番組内に製品・商品が出てくるタイアップは、それこそ叱られるレベルという感覚でした。

番組の内容を思ったように進めるには、脚本家の意図が出てはいけないこともあって、制作者の意図が全面に出るように脚本制作が進められていました。

その逸話として一つだけ紹介すると、大阪に仕事で行ったときに「水戸黄門」の脚本家の葉村彰子(はむらしょうこ)さんのニセモノに会いました。なぜニセモノとわかったのかというと、本物を知っていたからではありません。

葉村彰子は時代劇番組の制作者の共同ペンネームで、プロデューサーや大御所など全員と仕事をしたことがあって、聞いていたからです。

TBSの月曜8時の時代劇シリーズ(水戸黄門、大岡越前、江戸を斬るなど)は、一つのシリーズが終わると、すぐに次のシリーズが始まるという忙しさでしたが、それを可能にしたのは“葉村彰子さん”の存在があったからです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕