日々修行26 日の目を浴びないゴーストライター

本人に成り代わって原稿を書くゴーストライターは、出版社の専属もいれば、フリーの立場で書いている人もいますが、私の場合はフリーで1981年から1995年まで一つの大手出版社で150冊の書籍の原稿を書いてきました。

これだけの期間に、これだけの冊数なら普通は専属になったほうが安定して書きただろうに、と言われたこともあります。専属の場合には買い取りなので原稿料しか出ないのですが、フリーなら原稿料のほかに販売部数によって印税がつくのが普通なので、フリーを選択する人もいます。

専属のゴーストライターは、“売れなくなった物書き”の行き着く先と言われることもあるものの、私の場合は他の仕事もしたかったこともあり、ゴーストライターは通過点との考えもあったので、ずっとフリーの立場で書いてきました。

専属の場合には、編集者が調整をしてくれるので、仕事が重なることはないのですが、フリーだと一つの出版社だけでも仕事が重なることがあり、2週間で3冊分の原稿(400字詰め原稿用紙で900枚)を書く羽目になったこともあります。

何を書いたのかは契約があって他に知らせることはできないのですが、唯一許されたのが初めに手がけた1冊で、それは講演で語った内容を、そのまま文章にする仕事だったからです。

その講演の主は、トップクラスの家電メーカーの伝説的な経営者であり、政治家を目指す人のための私塾を始めた方で、その書籍のタイトルは『松下政経塾 塾長講話録』と言います。

どこの出版社かわかってしまいますが、バレーボール専門誌の編集を手伝っていたときに、その出版社の出身の編集者から「先輩がテープ起こしをしてくれる人を探しているから」と声をかけられました。

講演を記録したテープレコーダーを聞き、原稿に起こす仕事でしたが、関西弁を標準語にすることと、話し言葉を読みやすい文章にすることだけが条件でした。300枚分の原稿にしたのですが、自分の勉強のために1冊の読み物としても別に書き直してみました。

それも一緒に見せたところ、これなら専門のライターに出さなくてもいいからと(原稿料の節約?)採用されたのが始まりです。

発行された日のうちに増刷が決まり、さらにシリーズで発行することになり、続けて4冊に関わらせてもらいました。

ゴーストライターの仕事は、書く能力と書く時間を切り売りしているようなものと言われることがあるものの、そこに依頼を超えた力を特別に注ぐことは、これは修行の世界かもしれませんが、そのおかげでゴーストライターから“ゴーストライティング”へと移ることができて、さらに今へと続く先へと進むスタートとすることができました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕