記念日がブームになるきっかけとなったのは「サラダ記念日」とされています。歌人・俵万智の第一歌集(1987年発行)で、280万部の大ベストセラーを記録しました。
『「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日』
その前にも記念日はメディアにも取り上げられていましたが、特定の1日を記念する日(建国記念日など)が多く、今のようなキャンペーンやイベント的な要素の記念日ではありませんでした。
記念日は英語では「anniversary」(1年経過したことをお祝いする日)と「memorial day」(特定の1日を記念する日)とがありますが、ここで取り上げているのは「memorial day」のほうです。その「memorial day」も、こどもの日や建国記念日といった官制ではなく、民間が立ち上げたものです。
といっても、初めのうちは記念日を産業の振興に役立てる戦略として、農林水産省と全中(全国農業協同組合中央会)が各業界に呼びかけ、農産物に関する記念日を制定して、キャンペーンに役立てるということからのスタートでした。
1987年というと、私は病院栄養管理HDS研究所の主任研究員となり、全国病院調理師協会事務局次長を兼任して、機関誌『病院調理』の編集長として食品業界の取材を始めた年です。また、日本臨床栄養協会の会報誌『New Diet Therapy』の編集も担当して、取材も併せて行っていました。
その関係で農林水産省の記念日の広報活動を知り、同時期に全中の広報部からも記念日を用いた広報について聞きました。当時の広報部長は、幼少時代に住んでいたところの隣同士の関係(隣の家のお兄ちゃん)で、長く付き合ってきた方でした。
記念日に合わせて食品の記事を掲載する中で、大手広告代理店の食品担当と知り合い、広告戦略の一つとして記念日を活用する企画に参加して、365日の記念日リストを作成しました。
これは記念日のない日を埋めるように新たな記念日を考え、関連業界の広報活動として提案するものでした。当時は365日のうち100日ほどしか埋まっていなくて、食品に関わるものは50日ほどでした。
その広告代理店のテレビ担当の局長と仕事を通じて知り合っていたことから、広告代理店を通じてテレビ局のディレクターに伝わり、番組のコーナー企画として採用されました。それは1987年から始まった日本テレビ系の昼の帯番組の「午後は◯◯おもいッきりテレビ」でした。
“今日は何の日”の名称で、健康関連の情報が中心となる中で、食品に関わる記念日が増えていた時期です。
修行として考えると、記念日に関わる仕事は、とにかく365日(実際は閏年の2月29日も含めて366日)を埋めることでした。業界の発祥や関係者の誕生日などはテレビネタとしてはあまり人気がなくて、関心が抱かれるのは語呂合わせでした。
後に私が関わることになった納豆の日(7月10日)、豆腐の日(10月2日)、豆乳の日(10月12日)は、語呂合わせの最たるものとして、3つをセットで取り上げてもらうようにテレビ業界を駆け巡ったのは2002年からの6年間でした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕