日々修行41 スポーツ業界との関わり

1995年は、私にとっては記憶に残る年であり、その年にあったことは後々の行動にとっても影響を与えるきっかけでもありました。1995年は、野茂英雄がMLB(メジャーリーグベースボール)に挑戦した年です。

1995年はWindows95が発売されたネット業界にとっては記録に残る年で、それまでは情報収集は通信の段階から苦労していましたが、スムーズにアメリカの野球の情報を入手することができるようになりました。

とはいっても家庭では光通信は高嶺の花で、ケーブルテレビを導入しないと使えないということで、テレビ目的ではなくて、光通信を導入しました。そのときに海外のスポーツ競技を見るだけでなく、日本プロスポーツ協会が国内のスポーツも海外と同様に盛り上げていこうとする活動をしていることを知りました。

この団体は、プロスポーツの垣根を超えて普及活動を行っていて、現在はスポーツ大賞を運営している公益財団法人日本プロスポーツ協会となっています。当時は日本相撲協会、日本プロゴルフ協会、新日本プロレス、全日本プロレスも加盟していました。

それまではアマチュアスポーツだけで、プロスポーツは見るだけという感じでした。私がやってきたスポーツはスキー、剣道、柔道、空手、少林寺拳法で、これにスポーツと呼んでいいのか疑問もありますが、ウォーキングとノルディックウォーキングくらいでした。

後に公益財団法人日本健康スポーツ連盟の仕事をして、私は理事も務めていましたが、そのときの理事長が日本プロスポーツ協会の理事でもあったことからプロスポーツの世界とも知り合うことになりました。

競技のアマかプロかという違いもさることながら、組織運営の違いを知ったことは、その後の組織運営には非常に役立ちました。

スポーツといえば競技スポーツという感覚を大きく変えさせられることになったのは、1995年に「海の日」が国民の休日に制定されたことでした。スポーツ団体のトップは業界の有名人で、事務局のトップは事務方というイメージがあったのですが、財団法人の日本レジャースポーツ振興協会は、実際に団体を動かしているのは事務局長であることを知りました。

レジャースポーツといっても、マリンスポーツ、それもエンジンがあるマシンを使ってのスポーツで、この世界の立ち上げを考えた人が業界の有名人よりも重要な存在でした。海の日が知られ、イベントが多く開催される機会だっただけに、記憶に残り、また、この形態の活動の重要性を訴えていく機会となりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕