食事に関わる情報収集と発信は、大学4年生のときに始めた厨房機器業界の機関誌『月刊厨房』から始まり、調理師団体(全国病院調理師協会)、栄養士団体(日本臨床栄養協会)、病院給食委託団体(日本メディカル給食協会)、巡回健診団体(日本健康倶楽部)と重なった期間がありながら変化していきました。
これと並行して『日本種苗新聞』などの食に関わる業界の仕事をしてきましたが、それは食品のプラス効果(栄養など)だけでなく、マイナス面(危険性など)についても知って、食べる自分たちにとってのコントロール法(アクセルとブレーキの使い分け)を知りたい、真実を伝えていきたいという思いがありました。
食品の有効性を伝えるメディアはマイナス面を避けるところがあり、危険性を伝えるメディアは食のプラス面に目がいかないことを、出版の世界にも携わってきて、いつも感じていました。
農業関係団体は、有効性と安全性の両方を発信していますが、なかなか表向きの取材では知ることができない「業界人は知っているが、消費者などには知られてはいけない食品に関する事実」を知ることができました。
これは子どものときに暮らしていた山奥の村の隣の家のお兄ちゃんが、後に農業団体の中央組織の広報部長を務めていて、それもあって農薬、ポストハーベスト、食品添加物などについて、生産から加工、流通、販売の関わりから知ることができました。
その内容は、これまで食品の危険性を声高に伝える書籍や雑誌などとは随分と違っていました。これは書籍として残すべきという思いもあって、通常の出版社ではないところ(コミックの出版社の子会社)から1995年に『安全な食べもの事典』を発行しました。
書いたのは私ですが、情報収集に協力してくれた方々と活動していたグループ名での執筆としました。
そのきっかけは、1993年の“平成の米騒動”を受けて、食品の中身が大きく変わったタイミングでした。なぜ海外からの米の輸入が大きく増えたのに検査で農薬検出が減ったのか、日本で禁止された農薬が海外に輸出されて使われている事実についても書きました。
加工食品のPRは、テレビ番組(全国キー局)の食と健康に関わる記念日を担当したときから間接的に関わってきましたが、その成果もあって、2002年に納豆業界、2003年に豆腐業界、2004年に豆乳業界の全国広報を担当して、3つが重なっていた時期は3年間ありました。
テレビ、新聞(日刊紙、業界紙)、週刊誌、月刊誌が中心であったので、どうしてもプラス効果(主には健康面)の広報となりましたが、こういった流れがあると食品の危険性を訴える流れが出てくるのは仕方がないことです。
食品のリスクについても知っていたことから、アクセルとブレーキの使い分けを上手にした広報活動をすることができました。
このときの経験は、消費者庁の機能性表示食品に関する委員として加わったときにも役立ちました。今でも両方の立場から伝えてくれる研究者は、あまり多くはないことから、この年齢になっても、何か社会的な問題があると問い合わせがあるので、食に関わる情報収集、分析で気を抜くことはできません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕