日々修行45 音楽雑誌は修行だったのか

音楽との出会いというと、自分自身のことでは、あまり特徴的なことはしてきませんでした。小学1年生のときの学芸会での合唱のソロでの歌唱(1番は合唱、2番がソロ、3番が合唱)、中学生1年生のときにギターを買ってもらって習い始めたこと、中学3年生のときに合唱の伴奏でウッドベースを弾いたこと、高校1年生のときの同級生からバンドに誘われてエレキベースを担当したことくらいです。

大学では合唱団に所属したものの、クラシック音楽というよりも民謡からポップスまでありの合唱団(サークル活動?)でした。なんでも歌い、合唱にしてきた“多様性”のおかげで、いろいろな音楽の専門家と話をするときや、カラオケでの交流には役立ちました。

大学2年生のときには、大学に近くに住まわれていた「改造」の元編集長であった水島治男先生の自宅に通っていましたが、先生の息子さんが音楽乃友社の「音楽の友」の編集長でした。このことは以前(日々修行24)に、執筆の修行ということで触れました。

クラシック音楽専門の月刊誌の新盤のレコードの紹介のためにレコード会社を巡り、クラシック音楽の新盤のLPレコードをもらってきて、紹介の文を誌面に合わせた行数で書き直すということでした。これは月に1回の用件だったので、大学4年生まで続けることができました。

このときの経験は、後に産経新聞社が「モーストリークラシック」を発行するときに、編集の部分委託の話が持ち込まれたときに役立ちました。クラシック音楽専門の月刊誌ですが、1997年の創刊時にはフリーペーパーでした。

担当したのはフリーペーパー時代には、新盤の紹介と講評、コンサート情報(「ぴあ」のような詳細情報)という面倒な部分でしたが、雑誌になってからは演奏家や指揮者、クラシック業界関係者のインタビュー記事も加わりました。

誰に知られることもない影の仕事でしたが、それまで経験してきた一般書籍や雑誌のゴーストライティングのインタビューとは違って高尚な世界とはいえ芸能界の取材なので、これは歌謡曲の世界の経験が役立ちました。(これについては「日々修行45」で紹介します)

クラシック音楽の世界での経験が修行になっていたのかということですが、新盤の講評にはCDを全曲聴かなければならず、数多くのCDの中から時期とするものを選択をする作業が毎日のように続きました。

それもあまり有名でない曲や現代音楽も耳を研ぎ澄ませて特徴的な部分を聞き逃さないようにしなければいかなかったので、音楽は音を楽しむというよりも、半分以上は“音が苦”という状態でした。

よくぞ耐えられたものだと今でも自分を褒めたい気持ちで、これは修行そのものとなり、忍耐力だけは身につけることができました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕