大学3年生のときに、東京都中野区の割烹でアルバイトをすることになりました。その割烹は高校時代の同級生の親戚がオーナーで、上京したときに同級生の誘いで訪ねて、ご馳走になりました。そのときは割烹を経営する叔母(同級生の母親の姉)と、割烹の目の前にある料亭を経営する祖母(同級生の母親の親)に挨拶をさせてもらったくらいでした。
料亭と割烹とは関係なしに、お店まで歩いて10分ほどのところに大学2年生のときに住むことになり、気になる存在ではありました。アルバイトをするきっかけになったのは、同級生から手が足りないというので駆り出されたことでした。
手が足りなくなったのは料亭のほうだったのですが、料亭を手伝うので、割烹の手伝いができなくなったからということで、私は料亭の方に入ることになりました。あとで聞いたら、料亭のほうがバイト代がよかったということだったのですが、相撲部屋の宴席が入って、ご祝儀も多かったということでした。
料亭でやったのは皿洗いでした。料亭のほうは食器洗浄機が使われていましたが、割烹のほうは手洗いで、高級な食器が多かったので、慎重に手洗いできるアルバイトに入ってほしいとのことでした。
私は幼いときに母親の実家の寺院で親元を離れて、未就学の3年間を暮らしました。小さな寺院でしたが、先祖が大聖寺藩(加賀藩の支藩)の武家の出ということもあって、食器は九谷焼と輪島塗が多く、食器を大切に扱うことを祖母から強く言われていました。
私が使っていた茶碗も九谷焼、汁椀も輪島塗で、自分が使った食器は自分で洗って大切に扱うということは当たり前のこととして身についていました。大学生になってからは、安価な瀬戸物で食べていましたが、割烹で高級食器を目にして、昔の記憶が蘇って、楽しい気分で食器洗いと片付けをさせてもらいました。
それが気に入られたのか、ときどきではあったものの、4年生までアルバイトをさせてもらい、いくつかの料理の下拵えもさせてもらいました。
自分にとって最もよかったのは、よい食材を扱わせてもらったこと、お客さんとの会話の大切さを知ったこと、上客の力士の方々の鯨飲馬食を見て食と健康を考えさせられたこともあるのですが、後になって振り返ってみると、やはり食器を洗うことの重要性を知ったことでした。
このときの経験が、大学4年生のときから始めた厨房機器の業界団体の月刊機関誌のアルバイトにも役立ちました。そこから大量調理(給食)の食器洗浄に詳しくなり、それが次の病院調理、臨床栄養、介護福祉の食事へとつながっていくスタートラインとなりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕