日々修行64 霞が関も修行の場

私の臨床栄養の師匠の山本辰芳先生は、国立病院の栄養士・管理栄養士のトップにいたことから、厚生省、のちの厚生労働省(2001年に厚生省と労働省を統合して発足)と、民間と国の機関の垣根を超えた情報交流をさせてもらいました。その一部は、今でも続いています。

当時の厚生省の栄養部門の役人は国立病院の栄養士・管理栄養士の中から選ばれていました。今では、それ以外からの採用も行われていますが、山本先生の関係で、国立病院出身の栄養士・管理栄養士である厚生省の本省(霞が関)や地方局の栄養専門官と付き合い、その紹介で部門を超えて広く付き合うことができました。

今のように厚生労働省の各部門の情報がホームページを通じて簡単に手に入る時代ではなかったことから、霞が関に出向いては資料を受け取り、紹介を受けて別の部門も回るという手作業のような情報収集をしていました。

各省庁に出入りするときも、今のように正面玄関から厳しいチェックを受けるということではなかったので、裏口から平気で入っていました。霞が関の建物は、裏口が駐車場に面していて、その駐車場を取り囲む複数の官庁があったので、随分とショートカットをすることができました。

そんな中で知り合ったのが厚生省と労働省が合併して2001年に厚生労働省になったときの初代の事務次官で、関連する業界とのつなぎ役をしていたときに関わらせてもらいました。その当時の私の呼び名は「ビール券の小林」でした。

各省庁が新規の予算を財務省に出すときには、作業量に応じてビール券をつけることが慣習として続けられていて、給食業界や食品業界から集めて渡すという役回りをしていたことからの呼び名でした。

その後、付き合いが始まった政治家が、各省庁の大臣、副大臣、政務官となったこともあって、永田町と霞が関の用事を同じところで(議員会館のこともあれば官庁の中も)済ませていたこともありました。

周囲の目と耳を気にせずに、対面で話をするには、お役人の秘書官を避けることができる各省庁の副大臣室や政務官室は便利なところでした。政治家はコロコロと変わっても、お役人はずっと霞が関にいるので、私がやってきたことが申し送りされていきました。

特段に説明しなくても理解されているところから進められるのは楽なことでもあり、また過去のことを知っているお役人と、お互いに知らないふりをして仕事を進めていくことのメリットも学ばせてもらうことができました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕