ウォーキングは、無理なく続けられる健康づくりの運動として一般に認識されています。
ウォーキングについて知ったのは、私の父母がウォーキングのイベントに参加していて、その結果を伝えてきました。私が東京で大学に通うために上京した後のことだったので、1973年のことでした。
糖尿病であった父親は血糖値を安定させるために、血圧が高めであった母親は血圧を安定させるため、そして足腰が丈夫であれば老後も周りに迷惑をかけないから、という健康の勉強が好きな両親らしい理由でした。
全国団体の新潟県の支部の主催とのことで、テーマを決めて(街道巡り、港町巡り、県境まで歩くなど)年に10回は参加していました。
10代から30年間ほどは、自分自身がスポーツや走ったり、走るのが辛いときにはサイクリングをしていたこともあり、「歩くくらいでは運動にならない」「生活習慣病の改善の効果は限定的」と思っていました。どちらかというと、あまり健康効果はないものという感覚がありました。
ウォーキングの全国団体は、東京オリンピック(1964年)に発足して、私が存在を知った1974年に日本歩け歩け協会と団体名が変更になりました。それが現在の日本ウオーキング協会に改称されたのは2000年のことでした。
ウォーキングは一般名称で、「ウオーキング」は団体の固有名詞です。2000年には、私は巡回健診の全国団体の月刊機関誌の編集を手掛けていて、日本ウオーキング協会を取材して、記事には「日本ウオーキング協会のウオーキング大会」と書いたのですが、編集担当の役員に“ウォーキング”と直されて、固有名詞が間違った状態で掲載されました。
発行された雑誌と手土産(自腹だったので安いもの)を持って、誤りを謝りに行ったので、「ウオーキングとウォーキング」の使い分けは、ずっと心の中に刻まれていました。
その日本ウオーキング協会の活動に関わることになったのは、日本健康スポーツ連盟の理事になったときのことで、同時期の理事に日本ウオーキング協会の当時の常務理事がいました。
日本健康スポーツ連盟の当時の理事長は、日本ウオーキング協会の理事や日本市民スポーツ連盟(ウオーキング大会のコース認定などを行う団体)の副会長も務めていて、日本ウオーキング協会の立て直しに私が送り込まれました。そのことについては次回(日々修行91)で書かせてもらいます。
歩くこと自体は私にとっては修行と呼べるようなものではなかったのですが、その団体との関わりは修行そのものでした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕