栄養学の師匠の教え

栄養学は、ほとんどメカニズムが解明されていますが、それでも疑ってかかれというのが日本メディカルダイエット支援機構のコンセプトの一つです。それを教えてくれたのは、当法人の理事長の栄養学の師匠である山本辰芳先生です。当法人の理事長が知り合ったときには国立病院・療養所の栄養士・管理栄養士のトップで、当時は日本栄養士会の理事長を務めていました。今では公益社団法人となって理事長はなくなっていますが、当時は会長に次ぐ立場で、実践指導のトップでした。
さまざまなことを学び、一緒に団体を立ち上げることもしてきましたが、日々の学びの数々の中で今でも記憶から消えることのないことを学んでいます。それは「今の常識を疑って研究に勤しめ」ということです。その教えを受けた当時でも、臨床栄養の世界では糖尿病は血糖値を上昇させるブドウ糖の制限が基本となっていました。今ほど糖質制限が言われる時代ではなかったのですが、血糖は血液中にブドウ糖のことで、その数値が基準を超えると糖尿病と診断されます。
栄養学の師匠が病院に配属されたときには、糖尿病患者に砂糖を摂るように指示する医師がいたと言います。そんなことをしたら病状が悪化してしまいますが、そのことに疑問が抱かれない時代が少なからずあったということです。
糖尿病は、その名の通り尿に糖が混じる病気で、糖は重要なエネルギー源であるので、身体から抜けるものを補おうという発想です。発想としてはわからないではないのですが、尿に混じって体外に捨てられるのは、細胞にブドウ糖が取り込まれず、それが血液中で濃くなったからです。身体に必要でないものが尿とともに捨てられているわけではなく、細胞のことを考えると不足した状態である結果です。
山本先生の教えは、今は常識とされていることも常に疑って、本当に正しいのか、正しいとしても他に方法はないのか、もっと効果がある方法ないのかということを探り続ける姿勢こそが重要であるということを示しています。
山本先生から学んだ心に響いた言葉として、今でも当法人の理事長が酔うたびに(酔っていないときにも)口にするのが、「文化性のない食事は餌である」ということです。これは単に教え、標語というのではなく、山本先生が赴任していたトップの国立病院の栄養管理室に掲げてあり、栄養方針として医師やスタッフ、患者に渡す文書にも書かれていました。
病院給食というと、当時はおいしくない食事の代表のような扱われ方をしていて、必要な栄養素を摂り、疾患に影響のある栄養素は減らすので、おいしくないのは仕方がないということを言い訳のように口にする栄養スタッフも少なからずいて、“食文化”とは対極にあるのが病院給食という考えをされていたのも事実です。
そこに「文化性」という言葉を使い、さらに「餌」という言葉まで使いました。これには意図があることを教えてもらっています。病院給食を提供する部署は、今では栄養管理室、栄養部、栄養科というのが普通になっていますが、当時はまだ「食餌科」という言葉も使われ、栄養療法、食事療法ではなく「食餌療法」という餌を強調した指導が平然と行われているという現場もありました。
当法人の理事長は、山本先生が立ち上げた日本臨床栄養協会の機関誌の編集を行っていた時期があって、臨床栄養の変遷の一時代を目の当たりにしてきました。山本先生が立ち上げた研究所の主任研究員となり、病院調理師の全国団体の事務局次長としても支えてきたことから、ずっと学び続けることができる位置にいました。
その変遷の一つが臨床栄養と健康食品の関わりで、日本臨床栄養協会がサプリメントアドバイザーの認定教育を始めたときに、山本先生が副理事長であったことから制度の立ち上げに参加しました。当法人の理事長は、これまでに「私がサプリメントアドバイザー制度を立ち上げた」「立ち上げるように進言した」という人に何人も会い、その話を聞くたびにニコニコとして聞き流していますが、「自分が立ち上げに加わったときに会ったことがないんだけど」と酔うたびに(酔わなくても)話しています。