業苦楽4 業苦楽への道

自分がやってきた自業を変えられないために苦しむ「自業苦」については前回(業苦楽3)書きましたが、これは決して悪いものではなくて、次の良い状態のための通過点として着実に進んでいくべき道と考えることができます。

現在の苦しみの「自業苦」を、楽に変える生活ができれば、業の苦が楽になるということで「業苦楽」(ごくらく)となります。自業苦がなければ業苦楽もない、つまり苦しみを感じて自分を変えることができた人は、すべてが極楽に行けるという極楽往生を説いたのは浄土真宗の宗祖の親鸞聖人です。

しかし、誰でも極楽に行ける、念仏を唱えるだけで極楽に行けるというような簡単なことではありません。阿弥陀如来に信心をすることで極楽に行くことができるということです。たとえ仏であっても頼るだけでよいのかという発想もあるかと思いますが、浄土真宗では阿弥陀如来を信心する他力本願が重要となります。

現世で業苦楽(極楽)を感じることができれば、亡くなったときに即座に自動的に極楽浄土に行けるわけで、閻魔大王のお裁きを受けることもない、そもそも裁判が行われる冥土に行くこともないわけです。

自業苦を経験しなければ業苦楽もないということであれば、「苦しむことは修行のうち」と考えられることもあります。しかし、これにも異論があって、浄土真宗では苦行も坐禅もありません。

「自業苦」を経験しなければ絶対に極楽に行くことがないということではなくて、「自業苦」を感じた人であっても極楽に行くことができるということですが、この説明は他宗の方々には理解しにくいことかもしれません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕