食事の内容と日本人の体質との関係について話をするときに、新たな食生活が健康を害しているということを伝えるために“江戸煩い(わずらい)”について話しています。煩いは身体的な病気を指していますが、江戸時代中期に八代将軍の徳川吉宗が進めた享保の改革によって新田開発が盛んに行われ、米が大増産されたことから庶民も白米が食べられるようになりました。
その結果として、全身の倦怠感、手足のしびれ、むくみが起こる今でいう脚気(かっけ)が急増しました。その原因が解明されるのは明治時代になってからですが、江戸時代には庶民も武士も脚気の症状に悩まされました。武士の多くは江戸勤番といって全国の各藩から単身赴任をしていました。地元の藩にいたときには問題がなかったのに、江戸で勤めると江戸煩いが起こり、また地元に戻ると治ってしまいます。
これは江戸特有の病気で、今でいう風土病のように考えられました。しかし、実際には玄米から取り除いた胚芽や糠(ぬか)に含まれるビタミンB₁が不足することで末梢神経障害や心不全が起こり、脚気となっていました。ビタミンB₁は糖質のエネルギー代謝に欠かせない重要なビタミンです。
白米が食べられるようになって、取り除かれた米糠は、おかずに加工に使われました。乳酸発酵させた糠床に野菜を漬ける糠漬けが白米とともに食べられるようになりました。ビタミンB₁は水溶性ビタミンであるので、野菜の中に移動します。糠と塩が白米をおいしく食べさせてくれることから広まっていきますが、変化した食事によって不足した栄養素をおかずから補うということで、今でいうサプリメントのようなものでした。
糠漬けは野菜だけでなく、魚料理でも使われるようになり、糠漬けを食べることで江戸煩いが避けられる、治せるということを経験的に知ったものの、その理由がわかるまでには70年ほどを要しました。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)