病気の“おかげ”でプラスが増えた

テレビを見ていると言葉の使い分けができていないことに腹が立つようなことがあります。本来なら否定語の「全然」が肯定語として使われていて、「そこは断然だろう」ということもあれば、よくない出来事なのに「おかげ」と使われていることもあります。悪いことなら「せい」を使うのが本当のところです。しかし、今回は本来ならよくないことと思われることに対して、わざわざ“おかげ”を使っています。
この話をするときに、「他の人に見えないものが見える」と切り出しています。怖い話ではなくて、視界にモザイクが出て、よく見えなくなる閃輝暗点が起こります。緊張感が高まると急に現れて、それが30分ほど続きます。頭をぶつけると「星が飛ぶ」ということを経験したことがある人もいるかと思いますが、それが激しく出ている感じです。
目から入ってきた視覚情報は、そのまま画像として脳で認識されているわけではなくて、脳の後頭葉の視覚野というところで電気信号が画像に変換されます。そのときに後頭葉の血流が低下すると画像が正常に再現されず、輝く点やギザギザなどが見える閃輝や、逆に一部が暗くなる暗点が起こります。閃輝暗点は通常は数分で治る(おさまる)のですが、私の場合は閃輝がモザイク状になり、徐々に弱まっていくものの完全に消えるまでには30分ほどはかかります。
急に起こるために自動車がないと生活できないとされる地方に住んでいるのにハンドルが握れない、歩いていても視界が見られるために立ち止まるか、ゆっくりと歩くということしかできなくなってしまいます。2本のポールを持って歩くノルディックウォーキングを始めたのは、もともと脳の血流をよくしようとしてのことですが、閃輝暗点が起こっても転ばないように、まさに“転ばぬ先の杖(ポール)”となっています。なぜか好きなことをしているときには閃輝暗点は起こらなくて、私にとっては同じ仕事であっても嫌だなと感じるときには起こりやすくなっています。
閃輝暗点は私にとっては好きなことだけをするバロメーターでもあり、閃輝暗点が起こったときには休むようにしています。この休む機会(口実?)を1日に3〜4回もいただけるということで、私にとっては閃輝暗点は“おかげ”でプラスになっているのです。
病気さえなければ、もっと歩けるのに、もっと多くの人と知り合えるのに、もっと勉強ができるのに、もっと好きなことができるのに、と思うのは通常のことです。私の場合には最後の好きなことをしているときには閃輝暗点は起こらないので、好きなことをさせてもらえる時間を作ってもらっています。このことを知って、大らかな気持ちで付き合ってくれるとありがたいのですが、大稼ぎできることは頑張りも無理も必要になるので、小さな稼ぎをコツコツと続けることで満足するしかないのかな、とは感じています。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)