発達支援推進19 困難さが理解できる人の条件

発達障害の子どもと保護者の支援活動に参加していると、参加する人自身の発達障害との関わりを聞かれることがあります。それは、どれだけ発達障害の支援に対して真剣に取り組んできたのかということよりも、本人が発達障害であったのか、発達障害児の家族であるのかということが多く聞かれます。

発達障害は子どもの10人に1人が該当していて、その特性が生涯にわたって続くこと、周囲の理解がないと社会的に活躍したくてもできないという困難さがあります。その困難さは当事者や保護者が如実に感じていることで、それを充分に理解して伴走することが重要であるということもわかります。

だから、支援をするのは当事者か保護者であってほしいと願う気持ちが高まるのも当然のことといえます。しかし、当事者か保護者でなければ本当の理解はできないのか、本当の意味での支援はできないのかというと、そうではないという考えがあります。

発達障害がある人(発達障害児・発達障害者)と、その保護者は、頑張っていることは事実で、それに対応するために多くの時間と負担がかかっています。その中でも、自分の子どものことだけでなく、他の同じような状況になる子どもと保護者のために活動している人には頭が下がります。

それは重要な活動であり、状況をよく知っている方の支援は心強いこともわかります。しかし、発達障害を取り巻く状況を見ると、社会的な理解が足りないこと、理解の足りなさのための社会的な支援不足は、個人やグループでの支援では追いつかないところがあります。それだけに、深い理解と支援だけでなく、浅くても広い理解と支援が重要になってきます。

時間と余裕があるから支援ができるという従来的な福祉支援ではなくて、多く人が自分ができることから始める支援から始めて、それを拡充させることが大切だとの考えです。

困難さの理解は、発達障害が目で見て確認できることではない部分が多いこともあって、広い支援といっても急には難しいことではあります。それだけに、自分のこととして置き換えて考えられる環境や条件は必要であろうということはわかります。

自分のことを卑近な例としてあげるのは別の機会にしますが、少なくとも理解できるから行動を起こせるということは講習などで伝えるようにしています。
〔発達支援推進協議会 小林正人〕