発達支援推進25 当たり前の考え方こそが社会的障壁

社会的に当たり前と考えられるようになったことが、いまだに当たり前になっていない人にとっては、当たり前とされることは大きな障壁となっています。発達障害者支援法では、発達障害者を“発達障害”があって、そのために“社会的障壁”がある人のことだと定義しています。

発達障害があっても社会的障壁がなければ発達障害者(子どもの場合は発達障害児)ではないということで、社会的障壁を取り除くことが最も重要なこととなっています。ところが、社会的障壁を作り出していること、自分自身が社会的障壁となって、発達障害がある人を発達障害者にしていることに気づいていない人が多く存在しています。

だからこそ、社会的障壁について理解することの大切さについて話をしても、「理屈としては理解できても実感できない」という感想を述べて、社会的障壁の除去に取り組もうとしない人も少なくありません。

まったく当たり前の感覚になっていることを禁じられて、初めて感覚がわかったという人もいます。例えば、電車の自動改札を誰もが通過しているときに、交通系ICカードの使用を禁止されて、キップを購入しなければならないというシーンです。これは障壁と感じるようなことはあっても、電車に乗れなくなるわけではありません。キップを購入するという手間がかかっても、自動改札機を通過するのは同じことなので、社会的障壁と感じることは少ないようです。

携帯電話を例にすると、スマホで何でもできる時代に、あなたの電話番号では旧来のガラケーしか使えないということになり、スマホを取り上げられたことを想像すると、これは社会的なシステムを活用できないことになり、社会的障壁の意味の理解が少しは進むはずです。

このように発達障害とは無関係と思われるようなことを例にして話をしないと、まだ理解されにくいことも社会的障壁の一つかもしれません。
〔発達支援推進協議会 小林正人〕