発達障害がある人の困難さについて理解を進めるために、社会的障壁を取り上げて、その改善のために初めにすることは発達障害者(18歳未満は発達障害児)の特性について知ることだ、ということが前回のテーマでした。
発達障害は外見からではわかりにくいことから、その存在を知って、それぞれの方々ができることからやってもらうことから支援は始まりますが、優しい気持ちで対応すれば解決するとは限らないのが発達障害の困難さにつながります。
発達障害の社会的障壁を説明するために前回は車椅子での困難さを例にして話を進めましたが、今回も目で見てわかりやすい車椅子を例にさせてもらいます。
通路に段差があって車椅子で越えられない人を見かけたときに、勢いをつければ越えられると思って応援の声をかけるのは、あまり時間がかからないことです。勢いをつければ越えられると考えた人が、これまで車椅子で越えた人を知っている、応援する人が試しに車椅子に乗って越えたことがあるというなら、その応援にも裏付けがあると言えるかもしれません。
裏付けなしに、ただ頑張ればできるといった感じで応援するのは無責任であり、応援を信じて段差を越えることに挑んで、結局は越えられなかったということでは、車椅子に乗っている人に苦労をさせただけということになります。
越えられるまで近くで見続けていて、達成できなかったら、もっと応援する、他に方法を提案する、車椅子を押してあげることで段差を越えさせる、ということをしてくれればよいのですが、根拠がない無責任な応援(「やればできる」との声かけ)で終わる人、声かけしただけで去ってしまう人がいます。
発達障害で困難さがあり、それを克服しようと頑張っている人に、このような根拠がない応援をするのは、頑張ろうとする気持ちに水を差すことにもなります。
段差を越えたいということだけしか思いつかない人がいたら、他のルートを教えてあげる、もっと簡単に越えられる方法を教えてあげるという“小さな発想の転換”による対応は発達障害がある人、中でも子どもに対しては必要になることです。
〔発達支援推進協議会 小林正人〕