言い間違い16 まな板の上の鯉

「まな板の鯉」の意味を知ろうとして、検索サイトを開くと、なぜかトップランクのサイトの上の方に「まな板の上の鯉」が出てくることがあります。

“出てきます”と確定的に書いた途端に上位に表示されなくなることもあるので、“出てくることがあります”と表現していますが、上位に表示されていると、それが真実、多くの人が認める、一般に使われているものと思い込みがちです。

それもあって、原稿に「まな板の鯉」と書いたのに、「まな板の上の鯉」と修正されたことがあります。

まな板と鯉の位置関係を見たら、確かに鯉はまな板の上に存在しています。それが正しいと思っている人が、どれだけ多くても正しいのは「まな板の鯉」です。

「まな板の鯉」の意味は、まさに料理されようとしている鯉のように、相手のなすがままで、自らの運命を自分ではどうすることもできないことを示しています。

自分の運命を他人に任せるという“他力本願”の感覚に似ていますが、死を覚悟して、どうにでも好きにしてくれと開き直っている状態を示すときにも使われています。

“絶体絶命”の状況にいるわけですが、まだ命が絶たれていない鯉であれば、その場を逃れようとして尾をはねて抵抗を示します。抵抗が通じないことがわかると、覚悟を決めたように動かなくなって死を待つということで、必死の抵抗を試みた後の心境のはずです。

絶体絶命でもなく、死を覚悟する状況でもないのに、また死を逃れる努力をし尽くしたわけでもない人は、ただ「まな板の上に乗っている鯉」であり、「まな板の上の鯉」でよいかもしれせん。

もう打てる手がないというところまで工夫、努力をした人が使ってよいのが「まな板の鯉」ということになりそうです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕