社会人としての初めての仕事は日本厨房機器工業会(現在は日本厨房工業会)の機関誌の『月刊厨房』の編集だったと説明しています。これは職員であったわけではなくて、22歳にして外注で受けていたのですが、このときの人脈がきっかけで、調理、病院調理、病院栄養管理、臨床栄養、医学、薬学、保健学、運動科学へと広がっていき、そのたびに団体の広報をして生き延びてきました。
これは正式見解のようなもので、実際には厨房の機関誌を受けていた出版社の社長と知り合う機会となった大学時代に通っていた作家の先生の長男が音楽雑誌の編集長だったことから音楽業界への取材のほうが稼ぐのは先でした。ここでの人脈と経験が後に芸能界の仕事をしたり、大手新聞社が発行しているクラシック音楽専門の月刊情報誌がフリーペーパー、フリーマガジンだったときの編集をするところにつながっています。これは別の機会に思い出しながら書くことにします。
話は厨房業界に戻って、この世界では厨房機器の納入先によって学校給食、産業給食、病院給食、福祉給食と並んで特別扱いで自衛隊給食というカテゴリーがあります。読んで字の如く自衛隊の人たちが食べる食事を作る厨房機器の納入先です。ここが特別扱いだったのは他の世界よりも値切りが少なく、しかも丈夫で高級な厨房機器を、食べる人数以上の量を購入してくれることです。さらに、更新のサイクルが短いということも大きなメリットでした。
これは常に戦うことを想定している世界で、食事は戦うための重要な要素であるからです。故障をしてから修理に行くというのが厨房業界の通常の対応でしたが、自衛隊給食だけはメンテナンスは常に先回り、しかもメンテナンスや修理にすぐに駆けつけられない遠くの基地、護衛艦などの船、潜水艦は故障をしたときに対応のために複数の厨房機器が入れられています。要はお得意さんだったこともあり、取材にも訪れ、厨房機器を通じて食事の重要性を知るきっかけとなりました。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)