100kcal栄養学8 100kcalの栄養学の普及

栄養学教育の祖である佐伯矩(ただす)医学博士が医学から栄養学を独立させたこと、その基本が100kcalであったことは前回(100kcal栄養学7)紹介しました。

佐伯博士は、大正3年(1914年)に世界に先駆けて私立の栄養研究所を設立しました。この功績が認められて、大正9年(1920年)には国立栄養研究所が設立されて、佐伯博士は初代の所長に就任しています。これは後の国立健康・栄養研究所(現在は国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所)につながります。

昭和6年(1996年)に、国立栄養研究所は、最初の食品成分表『日本食品成分総覧』を刊行しました。これが現在の「日本食品標準成分表」につながる初めの取り組みと言えるものです。この中で国際的に使用できる方法として、100kcal単位の栄養成分表が採用されています。

また、この年に刊行された『食餌療法綱要』(青木袈裟美編・陸軍軍医団刊)、『対症食餌学』(佐々廉平編・診断と治療社刊)にも「100kcal食品」の付表が添付され、100kcal単位の食品成分表が評価されています。

戦後では、昭和23年(1948年)に、『日本食品表』(香川綾編)に「100kcal食品」が附記され、昭和27年(1952年)には、『日本内科全書』の「食餌療法」(森憲太編)に100kcal食品が紹介されました。

この流れをみると、日本の栄養学が100kcalを基本として進められてきたことがわかります。しかし、現在の栄養学の基本は80kcalが採用されていて、これが栄養学をわかりにくいものにさせている要因の一つにもなっています。このことについては次回(100kcal栄養学9)に紹介します。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕