私には弱点がいくつもあって、そのうちの一つが花や草の名前がわからず、似たようなものだと見分けがつかないというのは幼いときから変わっていません。今でも図鑑的にはわかっていて、草の成分や有効性などは相当に詳しいはずなのに、区別となると自信はありません。
東京にいたときに、野草を材料にした酵素を開発している会社を取材して、新潟県の妙高高原での薬草摘みに参加させてもらいました。日本の商品化されている薬草の半分は妙高高原と長野県の黒姫高原で、薬草の宝庫です。
地元の“薬草ハンター”が採ってきた野草なら間違いはないと思っていたのに、酵素会社の会長の“薬草博士”の手にかかると、違ったものが混じっているということで、二つのことを感じました。
一つは、しっかりとした日極めができる専門家が選んだものではないと信じられない(かもしれない)ということです。もう一つは、草の見分けができないのは私だけではなかったということでした。
薬草には健康に役立つ成分が含まれているものの、それを活かす技能がなければ役に立たない雑草になってしまいます。「薬草も雑草になる」ということですが、それとは逆に「雑草も薬草になる」というのが今回のテーマです。
草には罪はなくて、同じ草を薬草にするのも雑草にするもの人間です。岡山で薬草を研究する薬学博士と交流をさせてもらっていて、さらに倫理法人会の会員となって勉強させてもらったことで考えさせられてきたことです。
自分の仕事は“薬草”だと信じて続けているのに、本当に多くの人に役立っているのか、もっと役立つには何をしなければならないのかということを考え続け、実践し続けないと、気づかないうちに“雑草”になっているかもしれません。
そのことに少しでも早く気づいて、常に改善をしていくこと、そして薬草であり続けるように自分の目と感性を磨くことが重要という倫理的なことを、今も学び続けています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕