子どものときは父が公務員(警察官)で、父の実家(米屋)と母の実家(寺)の支援もあって、食べるのにも苦労するということはありませんでした。
大学で上京したときも1年目は親戚が近くにいて、アパートの隣が豆腐屋で臭いと音で迷惑をかけるからと毎日、豆腐などをもらっていました。2年間からは高校の同級生の親戚が中野新橋で料亭と割烹をやっていたため、その手伝いで食べられたうえにバイト代ももらえるということで仕送りに頼らなくても生きていけました。
大学時代の最後のほうは社団法人の月刊誌の編集のアルバイトをしていて、その流れで卒業後に就職をしなくても複数の団体の広報をして、しかも食に関する団体だったので、食に関しては苦労なしでした。
家族を持ったときも、お金持ちの一族の婿養子のような形で、住むところもあって、何も問題なしでした。一族から離れてからも広報の仕事やゴーストライターの仕事で休む間もなく、楽しみは食べることくらいでした。
苦労したと感じたのは6年半前に岡山に移住してからで、約束していた仕事が急になくなり、食べ物を買うお金もなくなりました。近所で食べ物を売っているのはコンビニ1軒だけということで、買おうにも買えないという苦労も経験しました。
岡山で新たに知り合った方々のおかげで、日常の買い物にも比較的便利なところに移動して、やっと社会に貢献できる仕事に取り組めるようになりました。これも広く食に関わる内容です。
ただ、倫理指導を受けて、新たな仕事に切り替える決断をして、先に“捨てて”後から“得る”ことになった今は、歩いてすぐのところに24時間営業のスーパーがある環境であるのに、買いに行くことができないという厳しい状況です。また、閃輝暗点のために仕事ができる時間が限られているのですが、これさえ乗り入れれば、なんとかなるという前向きの気持ちで前進をしています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕