私の経歴を見て、就職もしないで一人で頑張ってきたのかと感じてくれる人がいる一方で、就職できなかった理由を聞いてくる人もいます。就職しなかったのではなくて、就職できなかったのではないと思われているわけです。
どちらが本当なのかというと、“できなかった”というのに近いかなと感じています。学生時代からアルバイトで始めた日本厨房工業会の「月刊厨房」の編集を大学を卒業してからも業務委託で継続したことは事実なのですが、そこに至るまでに一つだけ、あまり語っていないことがあります。
親戚の者が厨房にも関わる機械関連の業界紙の記者をしていて、社長も編集長も就職にOKを出してくれたので、これからは就職活動をしないようにと言われました。そのことは社長と編集長に合わせてもらって確認をしました。
ところが、3月も後半になったのに会社から連絡がなくて、親戚の者に連絡をしたのですが電話にも出ないという状況でした。それで会社に出向いたところ、親戚の者が会社を辞めていたことを知りました。編集長が「小林君は、どうするのか」と聞いたら、自分がフリーになって引き取ると言ったそうですが、そのようなことはありませんでした。
「もうダメか」と落ち込みそうになっていたところに、日本厨房工業会の事務局から連絡が入って、編集を続けてくれないかと持ちかけられました。私がアルバイトで始めたのは、出版社の社長が編集を片手間でやっていたのですが、そのことが出版社に知られて、できなくなったので、私に継続してほしいということでした。
業務委託なので、いつまで続けられるかわからないということで、厨房の取引先の調理業界を取材して交流を始めました。そのときに親しくなったのは病院調理師の団体で、そこから病院栄養士、医師とつながり、二つのルートができました。一つは臨床栄養の学会と協会で、もう一つは厚生労働省(当時は厚生省)でした。
この二つのルートが健康関連業界、健康食品業界へとつながっていきました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕