発達障害児は“困った子”ではなく“困っている子”

発達障害を理解して、発達障害児の行動の特性を充分に承知している人なら当たり前と思えるような子どもの行動も、理解していない人には困った子どもと見えるかもしれません。その子どもたちは、何も特別な感情を持って“困った”と思われるような行動を起こしているわけではありません。自分が感じたままの行動を素直にしているだけです。それを困った行動、困った子どもという見方をされると、そのことが心身の負担となり、ますます今の環境を生きにくいと感じてしまうことになります。
生きにくい環境の中で生きていくしかないことは、本人にとっては困ってしまっている状態で、まさに“困った子”ではなくて“困っている子”です。どんなふうに困っているのかを知ることは、発達障害の中でも発現者が多い自閉症スペクトラム障害、注意欠如・多動性障害、学習障害の特性を知ることと同時に、普通ではわかりにくい感覚過敏の苦しさを知ることだと提案させてもらっています。
困っている子が、困った子と捉えられてしまうのは、社会の受け入れ体制の問題が大きいと考えられています。それは社会的な理解の低さという全般的なこともあるのですが、その延長にあるのは入社の選考基準です。アメリカを例にすると、個性、特殊能力といったことが優先されています。それに対して日本の企業の選考の基準となっているのはコミュニケーション能力で、ダントツの1位となっています。
コミュニケーション能力は、社会生活において他者と円滑に意思の疎通が行える能力、他者と上手にコミュニケーションを図ることができる能力を指していて、このコミュニケーションは発達障害児が最も苦手とすることです。大人になると徐々に社会性は身についていくものの、コミュニケーション能力だけは、なかなか改善されていかないために、集団行動ができない、会社勤めができないという結果にもなります。
発達障害児の親の大きな悩みの一つに、子どもの将来、その中でも就職の問題があります。就職に不利になるから子どもが発達障害であることを隠すということが起こる原因としても日本の入社選考の基準があげられているのです。この隠すという行為が、発達障害児の改善の機会を奪うことにもなり、支援が受けられず、改善ができないままに困っている状態を引きずり、大人になって大きな困難にさらされるようなことにもなりかねないのです。