「何をしに岡山に来たのか」ということは何度も聞かれていて、日本メディカルダイエット 支援機構のホームページの中でも、いろいろなテーマのコラムの中で書いてきました。メディカルダイエットの資格認定講習のときにも、ほぼ毎回聞かれるので、そこから書き始めることにします。
東京から岡山に家族ごと移住したのは5年前です。移住を決意したのは介護施設を開設するということで、私は臨床栄養、運動科学をやってきたことと、親戚に著名な福祉学者がいて勉強をさせてもらっていました。妻は鍼師、灸師、あん摩マッサージ指圧師の国家資格が3つあり、妻の妹は音楽教育と演奏のプロなので、3人がいれば運営できると判断しました。妻の父は著名な薬学博士で、健康分野の研究と著書が多く、妻の母は日本画家で、こういった経験も介護の世界では役立つとの思いがありました。
ところが、介護施設から介護予防施設、最後は運動設備がある娯楽施設へのコンセプトが変わり、専門性を活かす内容ではなくなってしまいました。東京の戻るという選択もあったのですが、判断する時期が移住から3年が過ぎ、みんなが岡山を気に入っていて、定住を決意しました。
東京を出るときに、それまでの継続の仕事は関係者に振ってきましたが、よい条件の仕事ばかりだったこともあり、「戻ってくることがあれば返す」とか「岡山で困ったことがあれば一緒にやろう」ということを言ってもらっていました。まさに岡山で予定していた仕事がなくなったので、困った状態であるので連絡をしたのですが、それがコロナ感染の始まりの時期と重なり、前の約束が守られない状況になりました。
多くの関係者が仕事が減ったり、なくなったりして、もっと稼がなければならないということで、仕事を返す、仕事を分けるということができなくなっていました。実際に、どこまで厳しい状態なのか、本当に仕事を少しでも分けられない状況なのかは確認のしようがなかったのですが、仕事を引き継いでくれた方の言葉を全面的に受け入れることにしました。
それで岡山で始めたのが発達障害児支援施設と学習障害児支援の学習塾との関わりで、さらに自分が一からできるメディカルダイエットの資格認定講習でした。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)