あくまでも噂話71「活性酸素研究の背景」

活性酸素は、今では当たり前に認識されるようになっていますが、活性酸素が初めて一般向けにメディアで紹介されたときには、目に見えないものだけに、理解されない状態が続きました。目に見えないといえば酸素も見て確認することはできません。酸素が不足した状態で息苦しくなってから存在を認識するというくらいです。
活性酸素は、簡単に説明すると酸素からマイナス電子が1個だけ欠けているものです。酸素は通常はプラス電子が4個、マイナス電子が4個となってバランスが取れています。このうち1個のマイナス電子が欠けると不安定な状態になって、マイナス電子を他のところから持ってこようとします。
マイナス電子を持ってきたら、活性酸素は正常な酸素に戻ります。それなら問題はないのではないかと思われるかもしれませんが、問題はマイナス電子を奪われたほうで、人間の細胞がマイナス電子を奪われると細胞が破壊されます。人間の細胞はつながった状態で、マイナス電子は隣り合った細胞から次々と奪われていって、細胞はドミノ倒し状態で次々と破壊されていくことになります。
こういったことが起こるから、活性酸素は身体に多くに影響、大きな影響を与えると説明されているのですが、電子の移動は、それこそ目で見ることができないので、これを説明するのは大変な作業となります。そのため、イメージで、いかに伝えるかが重要で、それを伝える専門家のテクニック、話術が問われることになります。
日本の活性酸素研究の元祖とされるのは板倉弘重医学博士で、国立健康・栄養研究所の臨床栄養部長だったときに、赤ワインのポリフェノールの抗酸化作用を発表して注目されました。私は臨床栄養の仕事をしていたことから、板倉先生の研究は基礎段階から知っていました。板倉先生が退職後に日本臨床栄養学会の理事長を務められたときにも、ずっと付き合いを重ねて、東京にいたときには主治医をお願いしていました。
板倉先生の研究を一般向けの書籍として発行したのは、ごま書房とゴマブックスです。私が日本文芸家クラブの理事を務めていたときに、ごま書房の編集局長、ゴマブックスの社長と親しく付き合ってきた関係で、一般向けの広報に加わりました。
活性酸素についてテレビの健康番組で初めて紹介したのは久郷晴彦薬学博士でした。久郷先生は私の義父で、いかに一般向けにわかりやすく伝えるかを先生とテレビ関係者を交えて検討を重ねてきました。活性酸素そのものの研究よりも、目に見えないものを伝えることのほうが大変なくらいでしたが、その作業の繰り返しのおかげで、活性酸素に関する書籍を数多く手がけることができました。
そのときの経験を、活性酸素を多く発生させる紫外線が多い晴れの国の岡山で、さらに活性酸素を消去する作用がある抗酸化成分が多く含まれる果物の色素をフルーツ王国の岡山で活かしていこうと、講習の準備を始めているところです。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)