自分のダイエットをデザインする基本として、100kcal単位の栄養摂取について紹介してきましたが、現状の栄養学で単位となっているのは80kcalです。栄養士をはじめとした学校教育でも80kcalが採用され、臨床栄養の世界でも80kcalが基本です。入院患者の栄養摂取については医師が約束食事箋(食事の処方箋)で摂取成分について指示を出し、これに従って管理栄養士が食事のメニューを考えます。そのときの基本となっているのも80kcalです。
臨床栄養は、すべての病院で統一されているわけではなくて、慶應義塾大学病院だけは違っていると言われたことがありましたが、これは100kcalを採用していたからです。その慶應義塾大学病院の食養管理室(以前は食養科)の責任者であった山下光雄管理栄養士は、100kcal栄養学を一般にも広めた功労者と言われています。山下先生は、複数の大学で教授を務め、現在は慶應義塾大学スポーツ医学研究センターの栄養担当の研究員となっています。
患者にもアスリートにも、100kcal栄養学はわかりやすく実践しやすい方法として広まっていますが、なぜわかりやすい方法が使われていないのか、その理由は講習のときに必ずと言っていいほど聞かれます。
日本の栄養学研究が始まったのは明治時代ですが、栄養学の研究を始めた軍隊は100kcal単位でした。その元祖は陸軍の軍医の森林太郎(文豪の森鴎外)と伝えられていますが、ドイツに留学(明治15年)して栄養学を学び、これを日本に持ち帰りました。軍隊の仕事量に応じて食事量を変えましたが、その単位が100kcalでした。
日本初の栄養専門学校を設立した佐伯矩医学博士は、大正3年に私立の栄養研究所を作り、これが大正9年に国の栄養研究所となり、初代の所長に就任しています。その研究と教育も100kcal単位でした。
それが80kcalになったのは、終戦(昭和20年)の後の食糧難の時代です。肥料も飼料も不足して、天候不順もあって1人前の食事の量が減りました。その1人前の量が80kcalであったことから、日本栄養・食糧学会で緊急避難的に80kcalを採用することが提案されました。これを受けて、栄養士養成学校でも糖尿病などの学会でも採用されました。
緊急避難であったなら、食糧事情が改善されたときに100kcalに戻すべきだったのでしょうが、80kcalを基本とすることは今も続いています。つまり、栄養学においては「戦後は終わっていない」ということになるのです。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)