栄養分野の研究は、誕生後の授乳期間から始まって、最後の最後とされる自分で食べられなくなって流動食や点滴の状態になるまで、長い期間を対象としています。その中でも中心となっているのは、成長期から更年期までの普通に食べる時期となっています。この期間でも、疾病に対応するのが臨床栄養で、栄養学を学ばせてくれたのは臨床栄養の管理栄養士と臨床医でした。
日本臨床栄養協会を立ち上げた病院栄養士の代表は国立病院の管理栄養士・栄養士のトップで、一時期は日本栄養士会の理事長も務めていました。その関係から日本臨床栄養協会の広報に携わり、日本臨床栄養協会と日本臨床栄養学会が合同で研究大会を開催していたこともあって、日本臨床栄養学会の広報にも携わりました。
後に日本臨床栄養学会の理事長となった板倉弘重医薬博士と、日本臨床栄養学会の理事と日本未病学会の理事長を同時に務めた都島基夫医学博士は、東京にいたときの主治医をお願いしていました。板倉先生は東京大学から国立健康・栄養研究所の臨床栄養部長となり、都島先生は慶應義塾大学の教授を務めて、珍しい存在の未病外来を担当していました。
こういった臨床栄養の人脈もあって、岡山に移住してから発達障害児に関わる仕事を始めて(発達障害児支援施設を運営するNPO法人の監事、発達障害による学習障害児のための学習塾を運営する一般社団法人の監事)、臨床栄養を発達障害の改善のために役立てることを目指して、新たな研究を始めました。
実際に発達障害児の実態、栄養の実態と問題点が明らかになって、その改善のために東京人脈の研究を活かそうとリサーチを始めて愕然としました。教科書的な発達障害児向けの専門の書籍も資料も存在していなくて、あるのは医師や栄養士、発達支援の専門家による一般書だけだったからです。臨床栄養的に見ても、こんなことを書いてよいのか、ということもあれば、子どもの心身の成長、栄養の基本からはずれたことが平気で書かれていて、これでは混乱させるだけ、悪影響を与えかねないということも何度も目にしました。
本来なら、研究成果は全国に発信して、変革を起こさなければならないのかもしれませんが、岡山に住んでいて、地域の発達支援、栄養と運動によるメディカルダイエットという限られた中にいて、しかも年齢的なことも考えると限界があります。モデルケースを示して、それを地域の大学なりの協力を得て、本当に必要と感じてくれる方々に伝えていくしかないかと考えているところです。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)