発達障害は今では解明も進み、判断もつきやすくなってきたので、的確な対応さえできれば、発達障害者支援法(2005年施行)が掲げる早期発見・早期改善も実現可能な条件は整ってきています。発達障害が我が国で医学的に明らかにされてから20年ほどでしかなくて、文部科学省による実態調査も10年ほどしか経過していません。
祖父母世代では、自分たちが子どものときには発達障害はいなかった、子どもの子育ても間違っていなかったので発達障害にはならなかった、と口にする人は少なくありません。それは診断基準もなければ、対応についても考えられていなかった時代の話で、その時代を過ごしてきた人に、現状を完全に理解することを求めるのは困難なことです。
大人になってから発達障害であったことがわかることもあり、生涯にわたる特性ということでは孫や子どもの発達障害を心配する世代は、実は発達障害であったということも少なくありません。
私自身でいうと、学会での付き合いがあった専門医から「性格的発達障害」と指摘されたことがあり、注意欠陥・多動性障害のように一つに定めらない活動をしてきて、はまったときには自閉症スペクトラム障害のように一点集中して、それが済むと多動性が始まるということを指しての言葉です。
姪っ子に発達障害があり、遺伝特性を考えると自身にも何がしかの兆候があって、そのための行動だったということも心あたりとしてはあります。それに気づいたのは、発達障害児の栄養面での指導に加わり、多方面からの支援の専門家と付き合ってきたからですが、困難さがある中での活動ということでは、移住をして余所者扱いの中での苦労も一つにはあります。
理解ができるということでは、発達障害の中で視覚情報処理の異常は本人以外は理解しにくいところがあり、文字が左右逆転する、ゆがむ、にじむ、大きさが変わる、文字が動いて見えるといったことが起こっています。
それは自身に起こっていることとは違うので完全に理解することはできないとしても、私は閃輝暗点という視界にモザイクは急に出て見えにくくなる状態が起こります。そのために情報の多くを得る視覚情報が遮断されることがあり、その中での読み書きは自分では困難さの極みと感じています。
しかし、その状態を誰も知ることができないので、困難さを伝えることもできず、それが発達障害児の支援のモチベーションにもつながっています。
〔発達支援推進協議会 小林正人〕