健康や人生観などにまつわる講演のテーマの一つに、「自分が今あるのは親や祖父母、曾祖父母をはじめとした祖先のおかげ」という話があります。ずっと祖先を辿っていくと、「そのうちの1人でもいなかったら、出会わなかったら、自分は生まれていなかった」という事実に行き着きます。
講演の話題としては、それでよいのですが、研究者の立場では、「どれだけの人間が自分が存在するために必要だったのか」ということを考えてみないと気が済まなくなります。単純計算ではあるものの、最近その祖先の話を聞くことがあって、いけないことかもしれませんが、聞いている途中から計算を始めていました。
自分にとっての1親等は両親で2人います。2親等の祖父母は4人、3親等の曾祖父母は8人というように倍々で増えていきます。4親等は16人、5親等は32人、6親等は64人、7親等は128人、8親等は256人、9親等は512人、10親等は1024人、11親等は2048人、12親等は4096人と、フェイスブックのお友達の上限近くの人数になります。
13親等は8192人、14親等は1万6384人、15親等は3万2768人、16親等は6万5536人、17親等は13万1072人、18親等は26万2144人、19親等は52万4288人、20親等は104万8576人と、岡山市の人口を超えます。21親等は209万7154人と、岡山県の人口を超えます。
1世代が20年と単純計算をすると21代は420年で、江戸時代の初期になります。そのときの日本人の人口は2500万〜2700万人と推計されるので、まだ余裕(?)があります。
22親等は419万4304人、23親等は833万8608人、24親等は1677万7216人と、今度は東京都の人口を超えます。25親等は3355万4432人、26親等は6710万8864万人、27親等は1億3421万7728人と、とうとう日本の人口を超える数になりました。
「27世代×20年」で計算すると540年前で、1483年というと京都の銀閣寺(慈照寺)が室町幕府第8代将軍の足利義政によって建立された年です。京都人が言う“先の戦”は第二次世界大戦ではなくて、応仁の乱のことだという“あるあるネタ”の応仁の乱(1467年)の後のことです。室町時代の日本の人口は1500万人ほどであったと推計されています。
この時代に今の日本の人口を超える人がいなければ今の自分がいないということはないので、どこかで血筋がつながっていることになります。ひょっとすると隣の席で一緒に話を聞いている人も遠い親戚であるかもしれないことになります。
講演で講師が話をする「人のつながりは大切に」ということを、妙に実感を持って感じた場面となりました。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)