変化が起こるときには、どんな小さくても予兆は必ず起こっている、といいます。予兆に気づいていれば失敗はなかった、早く気づいて対処していたら違った結果になっていた、ということも、よく言われることです。私が家族とともに東京から岡山に移住して、足元をすくわれるようなことになったのも、自分の気づく力が足りなかったからなのか、と何度も悔いることがありました。
ここで別の話を差し入れると、私たちが得意としている健康分野でよく例に出されるのは自覚症状がない糖尿病の初期段階の話です。糖尿病は初期段階では血糖値が上昇していて、すでに尿糖が出ているような状態でも、合併症も血管の老化も小さな変化でしかありません。糖尿病は血糖値さえ測定すれば簡単にわかる病気ですが、検査をしないと気づくことがなくて、そのままの生活を続けてしまうことが多い困った疾患です。
しかし、糖尿病が悪化して、治療を始める段階になってから、血糖値が急上昇した時期のことを振り返ってもらうと、「そういえば、あのとき!」と気づける機会があったというのがほとんどです。
私たちが移住するときには、岡山に呼んだ人(東京の会社経営者)が、住まいは会社の寮と同じ扱いでよい、しかも私たち夫婦だけではなく、一緒に移住した義妹(妻の妹)と姉妹の両親が住むところも同じでよいという話で、移住前に訪れたときに倉庫がわりに使っていた、その方の兄弟がオーナーのアパートの中を見せてもらいました。
あと数日で引っ越しというときになって、急に借りてもらわないといけなくなった、ということを言われ、私が支払う家賃は業務委託費に上乗せするという提案がありました。もう一部屋は通常の賃貸にしてくれということで、ここに心変わりに気づくチャンスがありました。
移住の目的は、呼んだ人の地元への貢献のために介護施設を始めるので、その運営を家族ですることでした。それが介護予防施設に変わり、最後は運動設備つきの娯楽施設に変わって、私たちの仕事の場ではなくなりました。
妻も義妹も雇うという話でしたが、妻は雇われることはなく、義妹にいたっては呼んでもいないのに勝手に来たという驚きの発言。こんな変化をする人であることは、もっと神経を研ぎ澄ませていれば、もっと早く別の道を岡山で始められたかもしれません。仕事がなくなり、急に大転換をしなければならなくなるまでに3年もかからなかったはずです。
介護施設が周囲にないから成功するという思惑は、自治体が自動車で5分もかからないところに介護施設を建設することを知らなかったということで外れてしまいました。介護予防施設に変えたときも、建設場所には水道が引かれていないために水道管を新設するために経費の負担があることから挫折しました。そのようなことは介護施設を計画したときに調べておけばよかったことですが、それができなかった人でした。
他にも気づく機会は、今にして思えばあったのですが、そのことに気づかなかった自分が悪かったのだと自分で思い、口にすることはあるでしょう。でも、それを呼んだ人から言われたときには、そんな人の口車にのった自分のことを恨んだりもしたものです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕