“人の器”の器は入れ物としての容器ということではなくて、能力の大きさや器量を意味しています。「器が大きい」というと他の人なら怒ってしまうようなことを笑って許すという大らかな態度を差して使われることが多いのですが、脳の処理能力の器が小さいと取り入れられる情報量が少なくなります。そして、なんとか脳に入れたとしても充分に処理ができずに限界に達してしまい、そこから先はフリーズすることにもなります。
「人脈というのは限界がないので、いくらあってもよい」ということを言われたのは今から50年も前のことでした。人脈は金脈にもつながり、これを悪のように広めたのは文芸春秋の「田中角栄研究−−その金脈と人脈」(1974年)でしたが、「人脈=金脈」ということは、新潟県の柏崎高校で学んでいるときから、地元の人がよく口にしていました。
高校時代に地元選出の国会議員が総理大臣になったということで大盛り上がりをして、その支援者の口利きで上京したときには田中邸に連れていってもらいました。これが私の人脈の始まりでした。
その後の関わりの話は別の機会に譲るとして、そのときから人脈は引き寄せられるだけ引き寄せてきました。それと同時に飛び込んでくる金脈もあったものの、6年前に岡山に移住してから急に離れていったようです。
それでも人脈は金脈につながるという考えは捨て切れなかったのですが、年齢を重ねるにつれて処理能力としての器が小さくなっていくことを感じるようになっていました。このままでは脳に入らないと危険を感じたときに心に飛び込んできたのが『万人幸福の栞』十二の「得るは捨つるにあり」と、講和で印象に残った「呼吸は先に吐かないと空気は入ってこない」という言葉でした。
人脈とつながっていたときに経験したこと、学んだことは心身の芯に残っています。人脈が大事なのではなくて、経験と学習したことが重要であり、これを活かさなければ“宝”が“ゴミ”になりかねません。
岡山市南倫理法人会の会員にさせていただき、そこ学んだ倫理を実践する場を与えられたと感じたことから、“器”の容量を広げるために、近づいてくる不要な人脈を“断つ”、不要となる人脈を“捨てる”、過去の人脈の執着から“離れる”ということを決意しました。
このことを「人脈の断捨離」として覚悟するために、この場で宣言をさせてもらいました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕