東京の原宿に住んでいたときのこと、竹下通りは住んでいたところと原宿駅を結ぶルートだったので、毎日歩いていました。私は新潟県からの上京組だったので、修学旅行生の会話を聞くのを楽しみにしていたところがあります。
制服姿の女子高生2人が「○○ちゃんを見損なった」と話していたので、一緒に原宿まで来たのに友人と仲違いをしたのかと思っていたら、「あっ、いた」と友人を指差しました。
そのときに気づいたのは、“見失った”ことを“見損なった”と間違った言葉づかいをしているということでした。
こんな間違い言葉を耳にする機会は、そうはなかったものの、同じような間違いは日常の会話でもテレビでもよく耳にします。それは“見にくい”と“見づらい”です。見にくいは、全部を漢字にすると見難いとなりますが、醜いという、見た目が不快、美しくない、不愉快や不道徳と感じさせることを指す用語です。
うまく見ることができないということなら、できることなら見づらい(見辛い)と表現して、間違っても視聴者や周りの人に“醜い”という意味に取られないようにしてほしいところですが、テレビ報道でさえ“見にくい”のオンパレードです。
これはアナウンサーなりMC(master of ceremony:司会者)のせいばかりではなく、台本や原稿をチェックする担当者の責任が大きいことです。原稿の段階で、しっかりと確認しておけば視聴者の勘違いは防げるはずです。
NHKでは『NHK新用字用語辞典』が使われていて、読み間違いがないようにするトレーニングに使われています。だから、「NHKのアナウンサーのように」と表現されるように、間違いのないことが売り物だったはずですが、何度もテレビを通じて見聞きしています。
これは、私がNHKを見る頻度が高いので気づいた、ということではないはずです。1日中、見ているわけでもないのに案外と多く見聞きするというのは、相当に乱れた使い方がスルーされているのだと感じています。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)