私の父母は、終戦後には小学生で、戦前教育と戦後教育の切り替えを体験してきた世代なので、教科書が急に変わったことについて、機会があるごとに聞いていました。冠婚葬祭のタイミングでも、親戚縁者から教科書の変化について、さまざまな体験談を聞かさせてきました。
終戦後の初登校の日に書道の道具を持ってくるように言われ、翌日の初授業のときに、教科書の中で戦前の“間違っていた”ところを筆で墨を塗って消したということです。その“黒塗り”の教科書は新たな教科書に変わるまで使っていたとのこと。
黒塗りだらけの文面では、何が書かれているかわからない、というのは今のお役所の公開文書のような状態で、1年近くは国語や社会などは教科書なしに学ぶというか、学べなかったという話も多くの人から聞きました。
戦前の教科書で覚えた難しい漢字は、新たに新しい教科書になって簡単な漢字が使われるようになり、教科としてはなくなったのですが、これを残しておこうという動きはありました。父の実家の米屋も母の実家の寺も古い文献が多く残っていて、私が幼いときに親元を離れて暮らした寺では、今では珍しい漢字も随分と目にしてきました。
いわゆる旧字体で、小学校に入ってからは新字体しか教えてもらえなかったので、旧字体が載っている本などを探し出して、祖父母に願って新字体との違いを教えてもらっていました。
新字体は「体」が普通のことで、「からだ」と聞いたら他に「身体」が思い浮かべられるだけですが、旧字体は「躰」「軀」「體」と複数があります。旧字体のうち常用漢字は「體」で、他の2つは俗字とされています。
俗字といっての意味合いの違いがあり、「軀」(略字は躯)は骨組みや“からだつき”を指しています。「躰」は姿や様子を指しています。旧字体の常用漢字の「體」は全身を表す漢字です。各部分が連なりあってまとまりを成した人体という意味合いがあります。
7画の体と比べると體は23画もあって、覚えやすく書きやすいという教える側の考えもわかるのですが、「体」の元々は劣る、荒いという意味があって、これをもって日本人の身体は欧米人より劣っていることを広めるために使われた、と指摘する人もいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕