タクティシャン11 「生き地獄なしには極楽はない」という説明

タクティシャン(軍師)をしていると教訓めいた話を求められることがあり、そのときには自分の環境の一つであった浄土真宗の教えを引用することがあります。浄土真宗には他の仏教と違って地獄はなくて、死んだら誰もが極楽浄土に行くことができます。そのためには信心という条件がつけられています。

善行を重ねないと地獄に落ちるということで、善い行いを強要されることに比べたら、どれだけ楽かということで、「生きているだけで極楽なのか」と聞かれることもあるのですが、浄土真宗の開祖の親鸞聖人の解説は、それほど単純なものではなりません。

自らがやってきたことの結果は自業自得と表現されます。自業のために、よくないことが起こることと思われることもあるのですが、よくないことも逆によいことも自業自得です。この自業の結果として苦しむことが“自業苦”(じごく)です。この自業苦を楽(楽しみ)に変えることが“業苦楽”(ごくらく)となります。

これは私の勝手な解釈ではなくて、親鸞聖人の教えです。自業苦(地獄)は生きているうちに経験することであって、“生き地獄”というのは当たり前になります。そして、生きているうちに業苦楽(極楽)を感じることができれば、亡くなったときに即座に自動的に極楽浄土に行けるわけで、閻魔大王のお裁き(裁判)を受けることもありません。

そもそも全員が極楽に行けるなら、極楽か地獄かの裁判はないわけですが、自業苦を経験しなければ業苦楽もないので、「苦しむことは修行のうち」と言われることもあります。

これにも異論があって、浄土真宗では苦行も坐禅もありません。するべきは阿弥陀如来への信心です。信心して往生させてもらうことは他力本願です。他力本願という言葉を出すまでは、なんとなく納得してくれていた方が、急に態度を変えることがあります。他力本願のように他に頼るのではなく、自分の成功は自分の力、努力の結果であって“自力本願”だと言いたいのは理解できます。

しかし、親鸞聖人の教えを引き合いに出すなら自力というのは阿弥陀如来の本願を疑うことであって、自力本願の自信が、さまざまな苦(前回の四苦八苦)を生み出すことになっているのですが、このことを理解してもらうまでには、かなりの時間がかかります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕