奇跡の軌跡3 寺の行事の日が誕生日

奇跡の連続の中から、自分に影響を与えてきたこと、他の人に役立てられることを思い出しながら記録していくので、まったく時系列にはならないのですが、幼いときの環境は奇跡をキャッチする能力に影響を与えていると考えていて、そこから書いています。

私が生まれたのは母の実家の寺で、新潟県出雲崎町という漁師町にあります。遠景に佐渡が見えるところで、江戸時代は佐渡金山の金を運び入れる港があり、ここが江戸に金を運ぶルートの出発地点ということで、天領として代官所もあり、江戸時代のほうが人口が多かったといいます。

出雲崎町の著名な出身者といえば良寛和尚くらいです。良寛和尚は曹洞宗で、母の実家は浄土真宗と宗派は違うのですが、著名人ということで本堂には良寛和尚の「天上台風」などの書の写しも飾られていました。

私が生まれたのは1955年4月8日です。4月8日は奇しくもお釈迦様の誕生日で、それに合わせるように出生届を出したわけではなく、その日に誕生しました。

それを家族だけでなく、檀家の人たちに寺を訪れるたびに「奇跡だ」と口にしていましたが、奇跡の意味もわからないまま、何か特別なことが起こったのかと感じていただけです。

お釈迦様のように、誕生した直後に立ち上がり、7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と発したというわけではなく、普通の誕生だったと住職の祖父から聞きました。

寺では釈迦像に甘茶をかけて祝う灌仏会があり、桜の季節で花まつりとも呼ばれていました。3歳のときに親元を離れて母の実家で暮らすようになったときに、自分の誕生日に檀家の人が集まって甘茶をかけ、お菓子が次々に渡されて、それが私の誕生祝いと言われて、不思議な感覚で過ごしていました。

山のようなお菓子を目当てに近所の子供たちが次々に来て、それもあって寂しい思いをすることもなく、いじめにあうこともなく、楽しく過ごせたのも“奇跡”の誕生日のおかげだと感じています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕