「泥棒は自分が持っていけるだけしか奪わないが、火事は全部を奪っていく」ということを子どものときに警察官だった父親から言われて、いかに火の用心が大切かということを心に刻むようになった言葉です。
父は地域の駐在所や派出所に勤めていたので、火事が起これば消防(ほぼ消防団員)とともに出かけていました。そして、戻ってくると同じようなことを言っていました。単なる口癖ではなく、実際に起こったことをリアルに伝えて、火事を起こさないように、少なくとも私が火災の加害者にならないようにと口を酸っぱくして言い続けていました。
私が3歳のときから親元を離れて母の実家の寺で暮らすようになったときも、離れるときに言われたのは「火の用心」という言葉でした。このことは後に祖母から聞いて、知ったことではあるのですが。
災害があったときに地域の方々が避難してくる寺が、火事を起こしたのでは話になりません。火事を起こして避難する側になることは絶対にあってはいけないことです。もちろん寺の火の用心は祖父母や叔母の仕事でしたが、念の為に火があるところ(墓の蝋燭や線香も)を見て回るということを習慣にしていました。
そのおかげかどうか、常に蝋燭の火が灯っている寺の中だけでなく敷地内でも何も起こらず、何もなかったことを後になって父に褒められるという経験もしました。
火事の恐ろしさへの感覚は、社会人になってからも物事を考えるときの基本になっていたように感じます。
大学時代のアルバイト先の一つであった日本厨房工業会の「月刊厨房」は、ガスの火を扱う業界団体の機関誌だけあって、火災の予防は常に出てくるテーマでした。機関誌の編集を本格的に手掛けることになったのは厨房設備士の資格認定が始まった年で、その認定試験の実地の場にも取材と称して立ち会いました。
ガス機器に点火したら、ガスが強く噴き出して危険な状態になるという想定での試験で、知識があり、手際がよい人が扱わないと火事の原因になることを強く感じさせられました。
火事になると、多くの人の重要な時間を奪うことになるだけに、時間泥棒という感覚で書きました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕