テーマとしている「偽る脳力」の「偽」は人と為を合体させた漢字となっています。これを指して、「人の為と口にする人は偽りを述べている」などと揶揄する表現として使われることもあります。そのように指摘される人がいないわけではないのですが、偽ることは必ずしも悪いことではありません。
自分の行動が「人のため」になるようにするために、あえて自分を騙すようなことをする人がいることについては先に書きました。自分がやっていることを棚に上げておいて、患者に厳しく指導をする医師がいる事実も紹介しました。
指導的な立場にある人は、行動も性格も立派であるという考えは、指導に従う人にとっては理想であり、信じたい気持ちがあるのは当たり前のことと言えます。自分が実践していないから立派なことを言ってはいけないということはなくて、聖人君子を期待するのは今の時代では難しくなっています。
そのことに気づいている方が増えてきているものの、信用すべき立場の人が自分たちのために行っていることだから、「聖人君子として付き合っておこう」という人が多いのも事実です。
「黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ」というのは中国の改革開放期に盛んに言われたことで、当時の指導者の鄧小平の言葉として伝えられています。(中国語では「不管黑猫白猫、能捉到老鼠就是好猫」)
大きな目的のためであれば、目をつぶることがあるのは当然のことで(片目だけであっても両目であっても)、自分の考えを偽ることもあり、それを押し通す能力が重要であると多くのところで説明されます。物事は進めているうちに、考えがあっての行動であったことが、いつしか現実のほうに考えが合わされていくということはあります。
それは自分の意志を曲げたということではなく、それに罪悪感を抱くこともなくて、当たり前のこととして受け入れて、平然として行動することができる対応力が脳には備えられています。
それが脳力であり、当たり前のように行動する能力のことを「偽る脳力」と表現しています。
他人のためと言って本音は違って偽るっているということではなく、多くの人のため、少なくとも同じ方向を向いて進もうとしている人のために自分の感情をコントロールすることができる「偽る脳力」は、コミュニケーションが取りにくくなっている今のような時代には重要な脳力であると考えられているのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕