奇跡の軌跡10 名前が出ない物書きへの第四歩

自分の名前を出さずにコーストライターとして書いてきた書籍は184冊で、このほかに共著(共同執筆)で自分の名前が出ているのは1冊だけ、と、これまで説明してきました。ゴーストライター歴のうち150冊はPHP研究所の書籍です。

過去に手がけた書籍を整理していく中で、今さら気がついたことがあります。184冊のうち3冊は自分が著者で、2冊はグループが著作者となっていて、合わせて5冊には自分の名前が出ていたことです。グループ名での著作、監修者だけが表紙に掲載されていたものは、てっきり自分の中ではゴーストライターとしての仕事と思い込んでいました。

PHP研究所の書籍を手がけたのは1981年から15年間で、それ以降は他の出版社の専門分野の書籍に移っていきました。その中に先にあげた5冊がありました。

専門分野は健康、栄養、運動、福祉、医学ですが、医学といっても生活習慣病が中心で、健康分野の延長のような形でした。ところが、1996年にグループ名(安全食生活研究会)で書いた『安全な食べもの事典』(茜新社刊)は、歴史的な米不足になった1993年をきっかけに食品の安全に関する規制が大きく変化したことを受けて、生産、保管、流通に関わる農薬、食品添加物、ポーストハーベスト、その他の化学物質について、「業界の人は知っているけれど、消費者には知られたくないこと」を書きました。

もう一つは、2002年の『東京ゲノム・ベイ計画 日本に託された人類の未来』(講談社+α新書)は、東京大学医科学研究所の新井賢一所長の著書名で発行されたものです。

これまでは生理学や栄養学に基づいた原稿は書いてきたのですが、あまりに専門的な話で、10日間も出版社に閉じこもって書きました。科学雑誌のライターをゴーストライターとして紹介したのですが、ストレスのために途中で書けなくなり、紹介者が責任を取るということになり、私も心身の疲労と闘いながら仕上げました。そのおかげで、講談社の科学雑誌からの仕事が入ることになったきっかけの1冊です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕