偽る脳力47 天上天下唯我独尊

他人の掌で動いていたのでは小さなことしかできないということは、お釈迦様の掌(てのひら)にたとえられます。これは『西遊記』の一節で、孫悟空が觔斗雲(きんとうん)に乗って遠くまで行き、その証拠として柱に名前を書いて戻ってきたら、その柱がお釈迦様の指だったという逸話です。

觔斗雲よりも筋斗雲(きんとううん)のほうが馴染みのある漢字かもしれませんが、筋斗雲はドラゴンボールに出てくる雲で、西遊記では中国語の觔斗雲です。

それほどお釈迦様(釈尊)は大きな存在で、生まれたときから違っていました。何しろ誕生してすぐに立ち上がり、7歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言ったというのですから。

(書物によっては歩いたのは7歩だけでなく、東西南北に7歩ずつと書かれているものもあります。)

唯我独尊は「唯(ただ)、我、独り(ひとり)として尊し」という意味で、天上天下にただ一人、誰とも代わることができない尊い存在であることを生まれながらにして発見したとされます。

私たちは生まれながらにして発見することはできなくても、人生を経験することで発見して、それを自覚することも、周囲の人たちに伝えていくことはできます。

私は母の実家の寺で4月8日(お釈迦様の誕生日と同じ)に生まれ、幼いときには親元を離れてお寺で過ごしていたので、読むもの、祖母に読んでもらうものは、こんな仏教の逸話ばかりでした。

東京で学んだのはインド哲学で有名な東洋大学で、図書館には仏教関係の書籍だらけで、子どものころの記憶は、いくらでもアップデートできる環境でした。

「天上天下唯我独尊」は、平たく言えば「人生の主役」ということで、お釈迦様だけでなく、すべての仏教に帰依する(仏教の教えのまま生きること)は人生の主役であり、生きていることが尊いということを指し示しています。

中には間違った解釈をする人もいて、「この世で自分ほど偉いものはいない」と自惚れることもあり、これを戒めるために「天上天下唯我独尊」が使われることもあります。お釈迦様でもない人間が、そのようなことを考えるのではない、という発想です。

しかし、お釈迦様ならぬ他人の掌で踊らされているのではなく、自分が人生の主役になるという意識というか覚悟は重要で、主役となって脇役を引き上げ、一緒に人生という舞台を作り上げていこうということを伝える発想として「天上天下唯我独尊」を話題にさせてもらっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕