“他力本願”という言葉を使うと、それはおかしいと指摘されることがあります。そして、「自力本願の間違いではないか」と言われるのはよいほうで、「他力本願になってはいけない」と説教されることさえあります。
自分の力を信じて、努力を重ねていくことは重要なことであり、毎日の積み重ねが自分を高めていくという考えは、多くの学びの機会に共通していることです。他力本願になって努力を怠ってはいけないという気持ちもわかります。自力本願によって目標を達成したという人も数多く知っています。
私が書籍や雑誌などを通じてインタビューさせてもらった方のほとんどは自力か他力かと言ったら、間違いなく自力本願が圧倒的多数を占めています。そして、困難に苦しむことがあったときにも自分の力、仲間の力、社員の力を信じて戦ってきた人たちです。
そのために他者を追い落とすようなことがあっても、それは相手よりも優っていたから、逆に言うと相手が劣っていたからということを述べていました。
そのことには強い違和感がありながらも、ビジネスとしてのインタビューと執筆であったので、それを否定するようなことはありませんでした。しかし、自分が経験してきた説教では、他力本願が正道です。
説教を叱ることの意味で使う人も多いのですが、本来は宗教の教義・経典を口で解き明かすことを指しています。他力本願こそが重要と説いたのは浄土真宗の開祖の親鸞聖人です。その教えを守り、伝える宗派の寺で生まれ、祖父母から言われ続けてきました。
浄土真宗は他の宗派とまったく違うと言われる中で、親鸞聖人が出家して学んだ浄土宗と比べてみたことがあります。一文字だけ違っているので、根本的なところは同じか似通っているのではないかと思っていました。
同じ本尊(阿弥陀如来)で、同じ南無阿弥陀仏と唱えるのですから。浄土宗は南無阿弥陀仏と唱えて修行することで死後に浄土で仏になることができるということで、一生懸命に唱える自力で願いをかなえる自力本願です。
浄土真宗は信心をすることで必ず極楽浄土に行けるという他力本願です。どれくらい一生懸命に修行したか、どれだけ多く唱えたかということには関係がなく、何を信じるのかというと阿弥陀如来の本願です。本願は、すべての衆生(生きとし生けるもの)を仏にするという願いを指しています。
頑張ることも無理をすることもないというのは、メディカルダイエットの「無理なく無駄なく」のモットーと通じるところもあります。メディカルダイエットは苦しいことをしないで望む結果になるように生命科学に基づいた方法を示しています。他のダイエット法が苦痛だけでなく空腹感も克服しないといけない修行が求められる自力本願だとしたら、メディカルダイエットは修行がない他力本願にたとえられるかもしれません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕