奇跡の軌跡16 2002年から始まった広報戦略

テレビ業界との付き合いは、音楽や健康食品から始まったものの、唯一の情報発信源ではなかったことから、深い付き合いではありませんでした。それが急に近づき、健康関連の番組に深く関わるようになったきっかけは、納豆の広報活動からでした。

2002年は納豆の記事が新聞、雑誌に頻繁に取り上げられ、テレビ番組でも特集が組まれるほどのヒットのスタートの年です。納豆の広報は、それまで大手広告代理店が担っていたのですが、全国納豆協同組合連合会が主導して、納豆PRセンターを立ち上げました。

全国広報のスタートは「納豆の日」を活用した記念日イベント(2002年7月10日)で、そのときには納豆の健康効果の研究発表をさせてもらいました。その前からメディア向けの広報は始まっていて、毎月1回、季節に応じた健康関連のリリースの発行を担当しました。

新聞、雑誌、ラジオ、テレビの各担当部署、それも地方のメディアの場合は地方と東京支社にもリリースを送信していました。毎月1回では、リリースが届くまで内容がわからないということから、先に1年分のリリースの概要をまとめて発行しました。

メディアに取り上げられると“納豆ブーム”が起こることは容易に想像できたことから、食品流通の各社にも同時にリリースを送りました。その手間をかけたことで、売り場面積が広がり、販売量は10%も伸びるという結果となりました。

リリースの内容の裏付けは納豆PRセンターのホームページに掲載して、紙とネットの両方でプッシュするという今では当たり前となっている手法を始めました。こういった活動によって、テレビ番組の企画に参加して、資料提供、台本の作成などにも携わりました。

この結果を受けて、翌年(2003年)には日本豆腐協会の「豆腐の日」(10月2日)、その翌年(2004年)には日本豆乳協会の「豆乳の日」(10月12日)も同じ手法での広報を担当しました。3つの全国広報が重なったのは3年間でしたが、それ以降は食品関係の記念日の広報を数多く手掛けることになりました。

この活動の中で巡り合ったテレビ局のディレクター、健康雑誌の編集者とともに健康ペンクラブを設立しましたが、これがメディカルダイエット情報を今でもメディアに発信し続けるという活動につながっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕