奇跡の軌跡19 ターニングポイントの2002年

2002年は、自分にとって転換点となる年で、そのときから20年以上にもなっているのに大きく変わることがなく、ただただ積み重ねてきたこともあるのですが、“継続の才能”の記録として書き残します。

現在の厚生労働省が始まったのは2001年のことで、当時は厚生省に関わる栄養、運動などの仕事をしてきていたことから、移行期には新たな制度が検討されるたびに呼び出されることが多々ありました。

たまたま、その時期には霞が関の官庁街まで歩いていけるところに住んでいて、健康科学情報センターとして厚生省と労働省が共同で実施していたTHP運動でも頻繁に霞が関に出向いていました。

また、霞が関は取材先でもあって、巡回健診の全国組織の日本健康倶楽部の月刊情報誌『健康日本』の取材に、1999年4月号から3年間にわたって出向いていました。これはライターとしての関わりで、取材と原稿執筆が主でしたが、2002年には『健康日本』の編集委員に就任しました。

厚生労働省の「健康日本21」(21世紀における国民健康づくり運動)が2000年から10年間を第一期として始まったのとタイミングが合致して、それ以降、『健康日本』は10年間にわたって、合計13年間(156号)担当しました。

「健康日本21」は、健康づくりの目標を期間を定めて実施した初めての施策で、何をしたら、どんな結果が出るのかという現実的な方法として、これまでの知識を活かす機会ともなりました。

THP運動は栄養での関わりから始まりましたが、2002年からは栄養、運動、保健、心理の4部門との関わりに変わりました。

『健康日本』と「健康日本21」と名称が極めて似ていることから、勘違いされたことが、かえって取材や交渉がうまくいくことになったのも、小さな奇跡かもしれません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕