欺瞞錯誤1 ミスリードの世界

ミスリード(mislead)は、メディアでは以前は否定的に使われることが多い用語で、テレビ番組の世界では「ミスリードさせない伝え方」が重要視されてきました。否定的に使われるというよりも否定されてきた手法です。

報道であれば、ミスリードは避けるべきというよりも絶対に起こしてはいけないことで、ミスリードにつながるような表現や取材手法だけでなく、取材素材もミスリードを犯さないものを選択することは必須条件とされてきました。

ニュースソース(情報提供先)として、どんなに魅力的なことであっても、テレビであれば視聴者、活字の世界(新聞、雑誌など)であれば読者が勘違いをして、間違った判断、誤った行動を起こすようなことは取材対象から外されることもありました。

「ありました」と過去形で書いているのは、今は違っている、少なくとも全部ではない、ということを伝えたいからで、ミスリードが意味する「誤解を招くこと」「判断を誤らせること」「人を欺くこと」は普通に発信されています。

ニュース番組であれば、素材情報を伝えるだけなので、ミスリードが起こらないと考えられがちですが、ニュース番組の形をとっていても実際はバラエティ番組で、報道ではなく“お知らせ”、それに留まらず“宣伝”になっていることがあります。

最近のニュース番組を見ていて、純然たるニュース報道であるはずなのに、番組が進むにつれて“特集”というタイトルで“言いたいことを言う”内容に変わっていっているものもあります。

これが民放であれば、スポンサーの意向や斟酌(しんしゃく)、忖度(そんたく)が働くことがあっても仕方ないのかもしれないのですが、受信料で成り立っている放送局でも、そのような内容が増えてきています。

なぜ、そのようなことになっているのかということは、ジャーナリストとして見てきて、また時には斟酌や忖度をする側の仕事もしてきただけに、よくわかっています。その伝え方の事実や実際の裏側の意向・意図を伝えるのもジャーナリストの役割かもしれないのですが、「そこまでは知りたくない」という意識の人が存在していることも承知しています。

情報メディアで過去のイメージ(信頼度)と現状が変わってきたタイミングは、ジャーナリストの中では、ほぼ断定されています。それは2011年3月11日からで、東日本大震災が大きな影響を与えました。

メディア業界の大転換が起こり、ミスリードが意図して行われるようになり、ジャーナリズムを貫くことを信条としてきらメディア関係者が2つに分かれる機会ともなりました。
〔小林正人〕