欺瞞錯誤2 事実の一部をカットする手法

ミスリードを、あえて行うようになったメディアの変化の分岐点が2011年3月11日であったということを前回書きましたが、これはメディアのミスリードの定義も変わるきっかけとなりました。

ミスリード(mislead)というと、「誤解を招くこと」「判断を誤らせること」「人を欺くこと」というのが辞書的な説明で、伝える側の知識不足や勘違いが大きな原因と考えられてきました。

メディア報道という権力を握っている側の意図が加わるときには、知識不足でも勘違いでもないことから、“わざと”間違えるようなことをするのが普通の感覚です。紙媒体の記事やテレビ番組の内容などは、そのまま伝えることをしても、“あえて”内容と違う見出しをつけるということが行われてきました。

伝えられる内容や画像は、まったく同じであっても、見出しや放送後の解説のコメントで情報操作をすることができます。過去には、実験としてテレビ番組の一部で情報操作の影響について調査が行われたことがあり、それを仕掛けた大手広告代理店の企画の場に立ちあっったこともあります。

1から10まで、AからZまで、すべてを伝えたら、見出しと内容が違っていることは簡単に見抜かれてしまいます。情報操作をする側も、そこまで視聴者や読者は感覚が鈍いという侮った感覚は持ってはいません。

ところが、事実の一部をカットしたり、伝えたいことに関わるところだけを残した報道をされると、操作された見出しも違和感なく受け入れられるようになります。

実際に経験したことの一部を出させてもらうと、取材をして意見を述べてもらった専門家が長々と説明したことから一部を抜き出すのは普通にあることです。実際に話をしたことであっても、「ここだけは注意してほしい」「別のこともある」といった注意喚起がカットされると事実と違った内容になることがあります。

以前は遠慮しがちに行ってきた情報操作が、今では堂々と(あまりに堂々と)されていることから、疑いの目を持って見ることができなくなりつつあります。それだけに情報を受けるときには、常に何かの意図が含まれているのではないかと疑いの気持ちが必要になってきてしまっているのです。
〔小林正人〕