苦しいことがあると、「まるで修行のようだ」と表現されることがあります。
苦しいと感じることがあっても、それが瞬間的なことであったり、それほど長く続かなかったとしたら、どんな辛い体験として振り返るようなことがあっても、これは修行と呼ぶようなことではないはずです。
修行は長く続けられるもので、長く続けなかったら修行ではなくて、単なる経験だということを講話として伝えていた方がいました。短い期間であったら、どれほど成果があったとしても修行と呼べないだけでなく、修行の本来の意味もわからないというような話をされていました。
素晴らしい経験、素晴らしい成果を上げてきた人に対して、“長い修行”を持ち出すことで、「まだ修行が足りない」ということを言って、まるで“マウントを取る”ようなことを“長い修行”をしてこなかった人に対して言い放つ人もいます。
“マウントを取る”というのは、自分のほうが優位であることを周囲に示す行動を指していて、マウンティングとも呼ばれています。(マウンティングについては修行に関わってくることを別に書かせてもらいます)
同じことをコツコツと続けてきた人を評価する風潮があることは承知しています。また、同じことを長く続けることによって得られることがあることも承知しています。
長く続けることができるのは、それなりの条件が必要で、その条件は人脈であったり、資金であったり、努力を続けることができる“継続の才能”があればこそのことです。一般的に言われる才能と同時に継続の才能がは重要な要素です。
このようなことを、連載コラムで書くことにしたのは、これまで経験してきたことは、すべて修行であったと指摘してくれて、その成果を世の中に活かすことを示してくれた方との出会いがあったからです。
もう修行は済んだのか、まだ続いているのかの判断は、あえて今はしないことにしています。これまでの“修行”を本当に活かすことができるのか、まだ“修行”を続けないと活かすことができないのか、それを見極めるために、これまでとは違ったことを書き始めることにしました。
(このコラムを掲載する日本メディカルダイエット支援機構のホームページの最新情報だけでも、もうじき6600本になるのに、まだ増やすつもりか、という声があるのも承知してのことです)
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕