日々修行8 寺での3年間で学んだこと

母親の実家の寺院で暮らしていた3歳少し前からの3年間、住職の祖父から、よく言われていたのは「仏様の供物のお下がりで生きているので贅沢は言ってはいけない」ということでした。それは今も教訓のように身に染みついています。

そんな教訓めいたことを言われ続けたのは、親元を離れての暮らしであっても、寺で修行をするわけではなく、外孫だったので寺を継ぐ身ではないこともあったようです。母親は次女で、長女も嫁いで外にいましたが、実家の苗字であったので、養子をとったという形です。

母親の実家の新潟県出雲崎町の寺院は、今は従兄弟(次男)が継ぎ、その次は甥(従兄弟の次男)が継ぐことになっています。

仏様の供物のお下がりで生きているといっても、漁師町では檀家からは常に魚が届けられるので、食に困ることはありませんでした。寺院で暮らす前は山奥の川魚もよく獲れない地域にいたので、海の魚は、それ以前は求めても食べられない贅沢なものでした。

魚はほとんど食べたことがない状態で、今のように食べやすく加工されたものが流通している時代でもなかったので、子どもの食の難敵である魚の骨は私も苦手でした。

食べるものに贅沢は言ってはいけないという教えではあっても、祖母が小骨までを抜いたものを出してくれていたので、実際には苦労することなく楽に魚を食べていました。

肉を食べる習慣はなくて、それは宗教上のことではなく、町に肉屋はなくて、たまに都市部から誰から買って持ってくる、という状態でした。記憶として肉を食べたのは、寺院から離れて再び親元で暮らすようになった小学生になってからのことでした。

とは言っても、そこは新潟県の南の山奥で、都市部にはバスで1時間はかかるところだったので、魚屋さんが買い出しに行くときに注文して肉を買ってきてもらうという環境でした。

私の誕生日は4月8日で、お釈迦様と同じ誕生日であったのですが、寺院にいたときには、誕生日にお祝いに来てくれる人が多くて(?)、お菓子も食べ放題という特別な日でした。これは勘違いそのもので、4月8日はお釈迦様の誕生日を祝う花祭りで、小さな釈迦像に甘茶をかける儀式が行われていました。

昔は親の都合に合わせて誕生日として届けるのを前後させることがあったようで、そのことを父母に聞いたことがあります。しかし、私が生まれたのは昭和30年の4月8日の朝方で、寺の孫が寺で4月8日に生まれるという奇跡的なことと周りの人からよく言われていました。

寺院の儀式も、お客様のもてなしも、人によって出されるお茶とお菓子が違うことも、履き物の整えから室内の片付けも、すべて基本的なことは教わることもないまま身につけることができました。

どれも、その先に役立つことばかりでしたが、一つだけ困ったことを身につけてしまうことになりました。それは葬式のときの準備や片付けなどで、あまりに的確にこなすことから葬儀屋に間違われることで、それは何回もありました。また、葬儀会社からスカウトされたことも何度もありました。

その手際の良さは、大学1年生のときに地元出身の国会議員の東京の邸宅に出入りしていたときに発揮されました。国会議員と葬式はつきものということで、重宝がられていました。

自分が育った寺院の宗派だけでなく、大学の図書館には全宗派に関わる書籍があり、初めのうちは目先の葬式に関する書籍を読んで“付け焼き刃”で対応していました。

しかし、1年間に関わる葬式の数は尋常ではなく、いつの間にか各宗派の儀式に詳しくなっていました。そこで修行のように学んだことは、今につながる先々の他ではできない経験をするきっかけにもなっています。
(詳しいことは徐々に明らかにさせてもらいます)
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕